12年働いた会社をやめようと決心していたSEの後藤智彦。担当企業システムのトラブル緊急対応のため、冷房が効きすぎて寒いサーバー室で作業に没頭していた。先輩SEの五十嵐優一の声がけで、暖かい休憩室に移動して休憩を取るのだが……。(この物語はフィクションです)

イラスト:冬乃郁也
イラスト:冬乃郁也
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 その時、妻からLINEが届いた。ぼくが先ほど送った『徹夜確定』への返答だった。

『やっぱりSEは大変だね。でもがんばってね』

 うん、がんばる。美香と渚のためにも。

『渚は、ふてくされて寝てるけど、パパのことが好きだから大丈夫よ』

本当にごめんよ。でも、その気持ちは渚には届かない。

『五十嵐さんがよい人なんだったら、仕事のこととか、いろいろと聞いてみたら?』

 それもその通りだ。つかみどころがない人だけど、技術力が卓越していて、プロジェクト経験が豊富である。トラブル対応というプレッシャーの中で、何を考えているのかも聞いてみたい。

イラスト:冬乃郁也
イラスト:冬乃郁也

 ぼくは早速スマホをテーブルに置き、五十嵐さんに質問をした。

「五十嵐さん、トラブル対応は成長できると言ってましたよね。でも、プレッシャーはないんですか? 逃げ出したいとか……」

「そりゃ、あるよ。オレも一緒だよ」

 意外な返事だった。

「そうなんですか? プレッシャーを感じているんですか?」

「当たり前だ。後藤は、『合コンですか』とバカにしてたけど、明るい無駄話をしたりして気持ちを紛らせないと、プレッシャーで押しつぶされるわ」

「そんなふうには見えませんでした……」

 五十嵐さんは、春村さんを見て言った。

「ちなみに、春村さんは? 今みたいなトラブル対応のとき、何を考えている?」

 ぼくも春村さんを見つめる。いろいろな人の意見を聞いてみたい。

 春村さんは、「私ですか?」と少し考えた後、「直すことに必死で、それ以外は何も考えていないと思います」と答えた。

「なるほどね。プレッシャーを感じるかは性格にもよるし、顧客やトラブルの重大さによっても変わる。ただ、一番違うのは、メンバーとしてのトラブル対応なのか、責任者としてなのかという立場の違いだ」

「立場、ですか」

「そう。誰かが『社長と副社長の差は、副社長と運転手の差よりも大きい』と言っていたが、それに似ている。トラブル対応の責任者になると、そのプレッシャーは半端じゃない。トラブルのことを考えるだけでなく、顧客対応やメンバーのケアも必要で、とにかく気が重い」

「本来であれば、五十嵐さんではなく、ぼくが責任ある立場です。実質、五十嵐さんに頼りっぱなしです。ごめんなさい」と、ぼくは両手をテーブルにつけて頭を下げた。

「まあ、気にするな。オレが責任を持ってやり遂げるよ。今回のトラブルは、事象が複雑過ぎる。後藤に責任を押し付けるのであれば、それは服部課長のマネジメントに問題がある」

「でも、プレッシャーの中でのトラブル対応、五十嵐さんはどうやって気持ちをコントロールしているのですか?」

「後藤、答えは人によって違うんだ。だから、自分で考えろ。SEは自分で考えることが大事だ。まずはお前の考えを言ってみろ」

 春村さんの前で弱さを見せるのは恥ずかしいが、どうしても五十嵐さんのアドバイスが欲しい。思いきって、本音を話してみることにした。

「ぼく、人前ではあまり弱みを見せないようにしていますが情けないくらいプレッシャーに弱いんです。その性格を直したいと思い、『ここ一番に強くなる プレッシャーへの対処法』といった本も何冊か読みました。父親に相談したこともあります。追い詰められたときどうしたらいいのかと」

「信頼できるお父さんだったんだな」

「そうです。尊敬できる父です。父のアドバイスなんですが、やるべきことを整理しながら紙に書き出すように言われました」

「なるほど、それでさっき、A4用紙で整理をしていたのか」

「はい、それも理由です」

「実際、ああやって整理することはとても大事だし、オレも後藤のメモを見ながら頭の中が整理できた」

「そう言っていただけてうれしいです。それに、やるべきことを書き出すと、ほとんどの不安が、根拠がないものであることや、焦っても何も解決しないことに気が付きます」

「実はオレも同じやり方をするときがある。全部書き出すと、それ以上は考えても仕方がないと思う。そして、作業のリストだけを見て、その作業だけに集中すると、余分なことを考えなくてもいい」

「ですよね」

 五十嵐さんもぼくと同じやり方をするかと思うと、なんだかうれしくなった。

「でも、トラブル時は次々と予期せぬことが飛び込んでくる。新しいトラブルが発生したり、突然、顧客が変な要求をしたり、メンバーが調子を崩したり」

「そうですね、予定通りにはいかないものです」

「うまくいかないときは、次々と不運が重なることもある」

「最悪な状態ですね。そういうときは五十嵐さん、どうするんですか?」

「『知らねーよ!』って思ってる」

 突然の言葉に、ぼくと春村さんは目を見開いた。

「し、しら……」

「『知らねーよ』だ。もちろん、心の中でだぞ」

 ぼくにはイマイチ何を言っているかわからない。

「『いつ直るか?』って聞かれたら、『知らねーよ』。『何が原因か?』って聞かれても、『知らねーよ!』。『どうしてくれるんだ?』って詰められても、『知らねーよ』。こんな感じだ」

「え、そんなこと考えてたんですか」

「ああ。オレはいくつものプロジェクトリーダーをやって、地獄のようなトラブルもあった。1カ月たっても直らず、家にもほとんど帰れなかった時もあった。過労で入院したり、メンタル的に出社できなくなったメンバーもいたりした。責任も感じたし、たまに家に帰っても夜は眠れず、強い酒を飲むしかなかった」

「それはつらいです」

 この五十嵐さんですら、酒に頼るしかないなんて、想像を絶する。

「でも、酒を飲んでも2時間おきに目が覚める。目が覚めれば、『あれをやらねば』、『でも、もしできなかったら』と悪いことばかり考えてしまう……。だから、後藤が言ったようにやることをリストに書き出して、やるべきことをやって、それで直らなくても仕方ないって思うようにしたんだ」

「なるほど……」

「そうでなければ、体も心も持たない」

「……たしかに」

「まあ、このあたりは人によるから必ずしも正解ではない。それと、『知らねーよ』と思いながらも、『全力で直したい』という気持ちは忘れていない。少なくともこれまでトラブル対応で逃げ出したり、手を抜いたりしたことは一度もない。頭の中で考える感情と、湧き上がってくる恐怖心は別だ。恐怖心が表面化しないように心を落ち着けて、トラブル対応に最善を尽くす。『知らねーよ』はトラブルを直すために大事な考えだと思っている」

 ぼくは五十嵐さんの貴重な話を黙って聞いていた。

 こんな考え方を持った人は初めてだ。とても勉強になる。

 少しの沈黙の後、五十嵐さんは、ぼくの顔を見る。

「後藤は、真面目過ぎるところがある。真面目過ぎると、うまくいかないと焦りにつながる。そうなると、いい結果が出ない。トラブル時には、気持ちを冷静に保つことも、リーダーの大事な仕事だ。いわゆる『鈍感力』ってやつだ」

「五十嵐さん、プレッシャーに強そうですけど」

「そう見えるだけだ」と五十嵐さんが答えた。

「スーパーマンに見えます」

 春村さんもぼくに同調した。

(つづく)

▼本連載は左門至峰氏の小説『ぼく、SEやめて転職したほうがいいですか?』(日経BP、2023年6月19日発行)を著者の許諾の下で転載しています。本文表記は原則、書籍発行時の記述をそのまま掲載しています。

日経クロステック 2023年7月25日付の記事を転載]