12年働いた中堅システムインテグレーターをやめようと決心していたでSEの後藤智彦。担当企業の緊急トラブル対応に出かけた彼はそこですご腕の先輩SEの五十嵐優一と出会う。五十嵐は「真面目な仕事ぶり」にこだわる後藤に対して「イノベーションが生まれる要件」を説明し始める。(この物語はフィクションです)
「だいたいなあ、これだけの先進国で技術大国の日本からいわゆるビッグテックのような世界に通用するIT企業が生まれていない。これは非常に残念なことなんだよ」
五十嵐さんは、本当にがっかりした表情を浮かべる。ビッグテックは、グーグル、アマゾン・ドット・コム、フェイスブック(現在の社名はメタ)、アップル、マイクロソフトなど米国の巨大IT企業のことだ。それらの頭文字を並べてGAFA(ガーファ)とかGAFAM(ガーファム)とも呼ばれる。
「海外のエンジニアのほうが優秀ということですか?」
「いや、日本のエンジニアは優秀だ。後藤の会社もそうだし、他社も含めて、オレが出会うSEは優秀な人ばかりだ。なかには困ったやつもいるけどな」
苦笑する五十嵐さんに、ぼくも同じ顔をする。春村さんも苦い顔をしていた。それぞれに思うところがあるようだ。
「エンジニアの資質そのものは、アメリカにも負けていないとオレは思うよ。ただ、日本の完璧主義や組織的な不条理のせいで、自由に仕事ができない」
「なんとなくわかります。私もそうです。セキュリティールールや社内のくだらない報告や会議が邪魔です」
「お掃除ロボットは、日本では絶対に生まれなかったと言われている。小さい子が事故に巻き込まれるというリスクに対して、日本企業は責任を取れないんだ。お掃除ロボットによる事故はたしかに起こり得る。でも、動かないテレビや家電でも、倒れてきたら大けがをするし、事故が完全にゼロになることはない」
「リスクゼロはありませんね」
「自動車でも死亡事故は起きている。リスクを言い出したら、なにもできなくなる。そんなことは冷静に考えれば誰でもわかるはずだ。しかし、リスクに対して異常に厳しい風潮は、ますます強まっているように感じる」
「それは、日本人のメンタリティーなんでしょうか」
「そうかもな。ただ、1つ言えることは、異常なまでのリスクゼロへのこだわりや品質要求が、開発のモチベーションを奪っている」
「リスクに厳しいくせに、リスクある海外製品を『便利!』と使っているんだから、矛盾してますよね」
ほんとだよ、と五十嵐さんがつぶやき、春村さんもうなずいた。
「シリコンバレーのIT企業の話を聞くと、自由に仕事ができて、ぼくはうらやましいです」
「海外のIT企業はサービスの提供開始を何より優先する。最近は品質面でも優れているが、こういっちゃ悪いが、昔はバグや問題も多かった。例を挙げると、グーグルの『ストリートビュー』というサービスは、道路から他人の自宅を許可なく撮影して公開していた」
「たしか、プライバシーの問題などで、物議を醸しましたね」
「そうだ。リスクを排除してからサービスを提供するのではなく、まずサービスを開始し、細かいところは後から対処するという考え方だ。こんなサービスは日本ではできないだろう」
「たしかに……」
「日本の技術って、世界の最先端を行っていたはずだったのにな」
五十嵐さんがしみじみと言った。
たしかにそうだ。自動車だけでなく、半導体や家電においても、日本は世界一だったはずだ。日本で生まれ、日本が大好きなぼくは、少し寂しい気持ちになった。
五十嵐さんは、「だからこそ」、そう言って語気を強めた。
「システムはインチキであるべきなんだ」

「また、びっくりすること言いますね」
五十嵐さんの言うことは、ぼくの口からは絶対に出てこないような言葉ばかりで、感心してしまう。
システムがインチキであるべきなんて、五十嵐さんに出会わなければ一生、思わなかっただろう。
「オレが考えたんじゃない。天才プログラマーの登大遊さんの言葉だよ。彼はインチキこそがイノベーションを生むと言ってる」
「インチキのほうがいいのですか?」
「今巨大になっている海外のITサービスも多くは、学生や若手のエンジニアが小さなアパートの部屋やガレージの片隅で始めた。例えばアップルは、スティーブ・ジョブズがフォルクスワーゲンを売って資金を捻出し、ジョブズの自宅のガレージでパソコンを作り始めた」
「逆にかっこいいですね」
「たしかに。でも、そんなスタートアップ企業が作る製品なんて、最初はバグだらけだ。日本の品質管理を適用したら、とても世には出せない」
「ぼくもそう思います」
「だが、それがよかった。完璧じゃなくてもいいから世に出して、みんなが使い、そこからシステムを改善していった。そして、今のグーグルやフェイスブックなどのような巨大なサービスができ上がっていったんだ」
「日本だと、品質管理も厳しいですし、最近はセキュリティーの部署から厳しいチェックが入りますからね」
「オレは、肖像権などの法律に違反してもいいとか、セキュリティーが保たれていなくてもいいと思っているわけではない。バグがあるというほんの少しの迷惑で済むならば、どんどん世に出していけばいいと思う」
「なるほど。ぼくもそう思えてきました」
「だろ」
「それよりも、日本から新しいイノベーションが生まれないと聞くと、少し寂しいです」
「残念ながら、今の日本企業においては、イノベーションは簡単には生まれないだろうし、SEも窮屈なだけだ」
「できるSEは、どんどん海外に出ていってしまっているのですか?」
ぼくはつい、新庄がアメリカで楽しくやっている姿を想像してしまった。
「そうだな。自由な働き方と、多額の報酬。そして自分の時間を持てる幸福。まあ彼らが日本に帰ってくることはないだろうな」
「……そうですか」
少なくとも新庄は日本に帰ってきてほしい。今すぐにでも……。
ぼくは、いろいろと不安になってきた。日本のSEに未来はあるのだろうか? 日本だけじゃない。AI(人工知能)の登場により、世界中からエンジニアが不要になるのではないだろうか。
そしてぼくは、SEを続けたいのだろうか。そんなことを考えていた時、五十嵐さんが言った。
「後藤。お前、会社をやめようと思ってるだろ」
「え……」
まさか、自分の心のうちを言い当てられるとは思っていなかった。
春村さんも、驚いたようにぼくを見ている。
「なんでそう思うようになったのか、聞かせてくれないか」
「私も、後藤さんのお話、伺いたいです」
五十嵐さんと春村さんが、笑顔でぼくを見つめてくれる。その優しさに、ぼくはつい泣きそうになってしまった。
渚。会社では誰も認めてくれないし、娘との約束も守れない。そんなパパでも、優しくしてくれる人はいるみたいだよ。
(つづく)
[日経クロステック 2023年7月27日付の記事を転載]
