12年働いた中堅システムインテグレーターをやめようと決心していたSEの後藤智彦。担当企業の緊急トラブル対応に出かけた彼はそこですご腕の先輩SEの五十嵐優一と出会う。大きな仕事を成功させたのに人事評価が思ったより低いと口にした後藤に五十嵐は……。(この物語はフィクションです)

イラスト:冬乃郁也
イラスト:冬乃郁也
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「後藤はまだ若い。それとお前が思っている以上に、今の職場はいい仕事場だとオレは思うけどね」

「そうですか?」

「実際、大きな仕事をさせてもらっているんじゃないのか?」

「そうです。大きな仕事を任せられて、会社に貢献しているんですが、ただ……」

 ぼくは、コーヒーを口に運び、うつむいたまま小声で付け加えた。

「ただ、人事評価が悪いんです」

 コーヒーの苦さが、いつもより強く感じられた。

「そうか……。サラリーマンの世界って、『理不尽』が大手を振って歩いてるようなもんだからな」

「どうせ、ぼくは理想論ばかり掲げてるガキですよ」

 ぼくは唇をとがらせ、小さく嘆息して、不満を口にした。

「去年、うちの部で一番大きなプロジェクトを受注した案件があるんですけど、その担当SEがぼくなんです。なのになんで、後輩のほうが先に昇格するんですかね?」

「そりゃ簡単だよ。人事がバカだからさ」

「……五十嵐さん、人事がバカって、本当に思ってますか? 評価されないぼくの方に問題あるとか、思ってません?」

 五十嵐さんは、「ドキ!」っと言いながら笑顔で自分の胸を押さえた。

「うっそ、なんでバレた?」

「……もういいです」

「まあまあまあ、怒るなよ。だいたいさ、人事なんていい加減なんだよ。後藤の会社は、社員数が1000人を超える。公平な評価なんてできっこないし、雑になる。経済評論家の森永卓郎さんも言ってたよ。『きちんと仕事で成果を出していけば、それが出世に結びついていくと考えるのは、完全な誤りだ』ってね」

 身も蓋もない話だな、と思う。

「まあ聞け、それに、そもそも人事が公平だなんて勘違いしていないか?」

「人事評価制度の説明を受けましたが、『我が社は公平な評価をしている』って言われました」

「もちろん、どこの会社も、制度的には公平にしようとしている。複数人評価だったり、明確な評価基準を設けたりだ。だけど、SEの仕事って、1人で保険の契約を何個取ってきたかみたいに成果がハッキリわかる仕事ではない。少なくとも数人、多ければ10人とか20人のプロジェクトでの仕事だ。プロジェクトが成功しても、誰か1人の成果とは思われない」

「でも実際、プロジェクトを成功に導いたのはぼくですよ」

 そう言い切ったが、五十嵐さんの顔を見て、「少なくともぼくはそう思っています」と付け足した。

「ちなみに、顧客向けのプロジェクト体制図だと、後藤のポジションって何?」

「チームリーダーです」

「だろ?」

 五十嵐さんは「わかるわかる」とコクコクうなずく。

「かつてはオレもいた会社だから想像がつく。プロジェクト体制としては、部長がプロジェクトマネージャーで、課長がプロジェクトリーダー。そして、仕事ができる若手がチームリーダーを担当。部長も課長も、仕事は何もしないっていうか、能力がないからできない」

「よくご存じで。その通りです」

「部長は親会社から来たシステムのことを全くわかってないやつだもんな。上司の服部課長はオレもよく知っているけど、ゴルフの腕だけで出世したバカ。あ、言っちゃった」と口を押さえた。

「冗談だからな」

「いや、正しいです」

「だから実際に、プロジェクトを受注した立役者も、無事に成功させたのも、後藤あってのことだろうな」

「……そこまでわかってもらえるなら、ちょっと報われた気がします」

 ようやく言いたかったことが伝わって、つい顔が緩んだ。

「顧客も、『プロジェクトリーダーの服部課長は連れてこなくていいから、後藤さん、あなたと直接相談をしたい』って言ってくれました。それだけ信頼を得たのに、同期が課長代理に昇格して、ぼくは主任のまま。後輩も、何人もぼくを抜いて係長になりました」

 悲痛な声を上げたぼくを、「まぁまぁ」と五十嵐さんはなだめた。

「それはさ、人事のタイミングとか、昇格人数の枠とか、いろいろあってのことだろう」

「そんなのは会社の都合であって、ぼくの知ったことじゃないです」

「後藤、世の中ってのはな、思うようにはいかないもんなんだ」

「でも、真面目に成果を出した人が評価されない人事って、やる気がなくなりますよ」

「ちなみにさ」

 五十嵐さんは一息置いて、ぼくをじっと見た。

「服部課長は、プロジェクトの成功は後藤のおかげだと報告していると思うか?」

 ぼくはつい、ゴルフの話ばかりする課長の顔を思い出してイライラしてしまった。そのイライラもあって「他に誰のおかげだっていうのですか」と怒り口調になった。

五十嵐さんは一息置いて、ぼくをじっと見た。「服部課長は、プロジェクトの成功は後藤のおかげだと報告していると思うか?」「他に誰のおかげだっていうのですか」とぼくはつい、怒り口調になった(イラスト:冬乃郁也)
五十嵐さんは一息置いて、ぼくをじっと見た。「服部課長は、プロジェクトの成功は後藤のおかげだと報告していると思うか?」「他に誰のおかげだっていうのですか」とぼくはつい、怒り口調になった(イラスト:冬乃郁也)
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「体制図上、課長がプロジェクトリーダーなんだろ? だったら、服部課長は、上司である部長に、『プロジェクトリーダーの私が成功させました』って報告する。さらにその部長も、社長には『プロジェクトマネージャーの私が部下をけん引して成功させました』って報告する」

「まあ、そうかもしれません」

「おまけに、とても苦労したとか、死にそうだったとか、そりゃもういろんな脚色をしてだ。もし成功した要因を聞かれたとしても、後藤の『ご』の字も出ない。というより、出す必要がない。課長も部長も、自分の評価を高めて昇進し、給料をたくさんもらいたい。それは、人間として当然の行動なんだ」

 五十嵐さんの話を聞いてて、あぜんとした。信じたくないが、おそらく事実であろう。

「なんだか、寂しくなります」

「だから、後藤の成果は、人事部にも社長にも、誰にも伝わっていない」

 言われてみればその通り。そんなことにも思い至らず、不満を垂れ流すだけだった自分が嫌になり、何も言えなかった。

「厳しいこと言うようで、申し訳ないけどさ」

 五十嵐さんは、話をまとめるように言葉を続ける。

「それが、サラリーマンの世界だ」

 なんてくだらない世界なんだ。

「もういいです。こんな会社はやめるので、ちょうどよかったです」

 五十嵐さんは、そんなぼくを見て、優しい口調で言った。

「いや、待てよ、後藤」

「だって、こんなのむなしいじゃないですか。がんばってもがんばっても、ぼくの努力は誰にも伝わらない」

 そう言って、大きくため息をついた。

 そして、愚痴を言わずにはいられなかった。

「本当はわかっているんです。ぼくが、昇進できない理由なんて。新庄みたいなずば抜けた能力もない。課長みたいに人付き合いもうまくない。でも、認めたくない。だから、やめるしかない。……ガキみたいな考えということは自分でもわかっています。でも、認めてほしいんです。ぼくのことを」

 五十嵐さんは「そうか」とつぶやく。春村さんも、ぼくと同じようにうつむいていた。

「オレは、認めているよ」

「え……?」

「後藤のことを。たぶん、春村さんも。後藤が日ごろからどれだけがんばってるのか。後藤の同僚も後輩も。みんな知ってるじゃないか」

「……そうなんでしょうか」

 そう口にしたぼくだったが、やはりうれしかった。

「私ももちろん、五十嵐さんと同じ意見です」

 春村さんも力強く言ってくれた。

 ありがたい。こうやってぼくを認めてくれる人がいる。なんてありがたいことなんだ。

 ぼくは顔を上げた。そこには2人の笑顔があった。

――IT業界で仕事をしたい

――システムを作って誰かの役に立ちたい

 SEになった頃は、そう思っていたはずだ。なのに、だんだんと給料や昇進のことばかり気にするようになっていた。

 妻は、「給料なんて私は気にならない」と何度も言ってくれた。

「あなたはがんばってるわ」「今のパパで十分だよ」、とも。

 一体、どこで道を間違ったのだろう……。

 ぼくは、本当は何がしたいんだろう?

 夜は、刻一刻と更けていく。

(つづく)

▼本連載は左門至峰氏の小説『ぼく、SEやめて転職したほうがいいですか?』(日経BP、2023年6月19日発行)を著者の許諾の下で転載しています。本文表記は原則、書籍発行時の記述をそのまま掲載しています。

日経クロステック 2023年7月31日付の記事を転載]