12年働いた中堅システムインテグレーターをやめようと決心していたSEの後藤智彦。緊急トラブルの対応現場で出会ったすご腕の先輩SEの五十嵐優一と共に徹夜でトラブル対応にあたる長い夜。自分が何をなすべきか悩む後藤に五十嵐は「得意なことを1つに絞れ」と言い出す。(この物語はフィクションです)

イラスト:冬乃郁也
イラスト:冬乃郁也
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 そんな時、春村さんが帰ってきた。

「すみません、遅くなりました」

「いえいえ。お気になさらず」

 五十嵐さんは若干丁寧に言う。なぜ? と思ったが、追及はしないでおいた。ただ、五十嵐さんは、春村さんの何かを知っている気がする。

「せっかくだからプリンを食べませんか」

 春村さんは晴れ晴れとした表情で、ビニールに入ったプリンを見せた。

「それ、どこで?」

「コンビニで買ってきました。私、実は外に出られるんです。保守をやっていると、社員しか持っていない入退室用のICカードも予備で持っています。あくまでも私のではなく、社員さんが忘れたとき用のものですが」

 それってセキュリティー的にどうなのか、とツッコミを入れたくなった。

 五十嵐さんもそう思ったはずだが、笑顔で「ありがとう、もらうね」と受け流した。

 それならば、と、おなかが空いていたぼくもプリンを受け取った。

「春村さん、いただきます」

 ぼくと五十嵐さんは、もらったプリンを、小さなデザートスプーンでちまちま食べていく。

 暖房でやや温まり過ぎた体だったが、プリンによって内側から体温が下がる。頭も少しスッキリする。

「コンビニで買ってきました。私、実は外に出られるんです。保守をやっていると、社員しか持っていない入退室用のICカードも予備で持っています」と春村さんはけろっと話した(イラスト:冬乃郁也)
「コンビニで買ってきました。私、実は外に出られるんです。保守をやっていると、社員しか持っていない入退室用のICカードも予備で持っています」と春村さんはけろっと話した(イラスト:冬乃郁也)
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「ということは五十嵐さん。さっきの話をまとめると、スタートラインは、『好きなことをする』、ですね!」

「そうだ」

「たしか、ホリエモンこと堀江貴文さんもそんなようなこと言っていました」

「そう、ミュージシャンのボブ・ディランも言っていた。『朝起きて夜寝るまでの間に、自分が本当にしたいことをしていれば、その人は成功者だ』って。つまり、好きなことをしている人は、成功者なんだ」

「好きなことが仕事にできたら最高です」

 ぼくの本心だった。いや、だいたいの人にとっての本心だろう。嫌いなことというか、好きでもない仕事を「お金のため」と割り切って毎日を過ごしている人も多いはずだ。そんな中、好きなことを仕事にできている人はどれだけいるだろうか。

「ただ、『好きなこと』という表現を誤解してはいけない。注意が必要だ」

 五十嵐さんはスプーンをくるりと回してオレを指さす。

「実際には好きなことよりも、得意なことをやり、その得意なことを好きになるのが一番収益につながる。例えばオレは酒を飲むのが好きだし、ダラダラとテレビを見るのも好きだ。しかし、それをいくらやっても金は稼げない」

「まあ、そうですよね」

「春村さんも野球を見るのが大好きだからって、それで稼ぐのは簡単じゃない。野球に携わる仕事はできるかもしれないが、春村さんが得意なことを発揮できるかはわからない。だから、金を稼げるかも微妙だ」

 春村さんは「その通りです」と渋い顔をしながらも笑った。

「後藤もこの業界にいるわけだから……、いいか、得意なことを1つに絞るんだ」

「1つ、ですか」

「そう。秋元康さんは著書で、コーヒー屋をやるなら看板にあえて『紅茶はありません』と書くと言っていた」

 紅茶を捨てて、コーヒーに専念するってことか。五十嵐さんの話が、さっきの「捨てる」という話や、クラウドに特化したという話とつながっているとわかった。

「そして、その1つを、とことんやってみろ。とことんだ。ときに、それを何らかの形で発信するのもいい。今はネットの時代だ。本当に中身がよければ、ネットで発信したら人が集まる。いっぱいコメントをくれる。質問が来たり、間違いを指摘してくれたり、新しい情報を提供してくれたりすることもある」

「見てくれる人がいて、反応までもらえると、モチベーションが上がります」

「後藤が望む承認欲求も満たされる。そうすると、さらにいい発信をしようという気になる。PDCAが勝手に回って、知識がどんどん蓄積されていく。そうなれば、後藤しか持ち得ない情報を持つことになる。そうやって積み重ねていくと、すぐではないが、メディアから『記事を書きませんか』『本を書きませんか』とか、『講演しませんか』といった依頼が来る」

 なんてかっこいいんだ! と思わずぼくは目を見開く。きっと、五十嵐さんがクラウド分野でトップに君臨するに至った方法は、まさにこれだったのだろう。

「えー、かっこいいですね」

 春村さんも目を輝かせる。ぼくだって、女性からこんなふうに言われたい。

 あれ、もしかして、自分が求めているのは「チヤホヤされたい」というちっぽけなこと?

 冷静に考えると、自分が求めていた成功って、こんなちっぽけなことだったんだ。そう思うと、笑いがこみあげてきた。

 いや、ぼくだけじゃない。きっとほとんどの人が、周りから認められたいと思っている。

 せっかくなら、チヤホヤされたいついでに、五十嵐さんの言う通りにやってみるのもありだ。得意な仕事に専念して、お金を稼いで、そして、みんなに喜んでもらって……、そんないいスパイラルを回そう、そう自分に言い聞かせた。

 そう考えると、五十嵐さんの話が、さらに楽しくなった。

「いいか後藤、お前は技術もあるし、向上心もあって、素直な面がある。だから、得意なことに専念し、そしてやり方を間違えなければ、その道のプロフェッショナルにきっとなれる。そのとき、依頼があった仕事は、どれだけ忙しくても絶対受けろ。チャンスは何度もない。何があっても全部受けろ。実績を積んでいくと、さらに卓越した技術や知識、経験が得られ、その世界の専門家に近づく。そして、人に喜んでもらえる仕事ができるようになる。金を稼げるし、後藤も幸せになる」

「勉強になります! 好きなこと、得意なことですね」

「その通りだ。昔は、有名人とか、学生の時から『あいつはひと味違った』とか言われるような人物が大金を得た。最近はごくごく普通の人でも、動画を配信したり、セミナーをやったりして、もうけられる」

「なるほど……」

「インターネットのおかげで、専門家と素人の垣根がなくなり、誰でもがインターネットという大きな世界で勝負ができる」

「いい時代になりましたね」

「ただ、先にも言ったが、やり方はそれぞれ違えど、彼らは必ず顧客を喜ばせている。だから稼げるんだ」

(つづく)

▼本連載は左門至峰氏の小説『ぼく、SEやめて転職したほうがいいですか?』(日経BP、2023年6月19日発行)を著者の許諾の下で転載しています。本文表記は原則、書籍発行時の記述をそのまま掲載しています。

日経クロステック 2023年8月30日付の記事を転載]