60歳を過ぎても働くことが当たり前になった現代。40代50代が息切れせずに長く仕事を続けるためには、なにが必要でしょうか? 人事コンサルタント・新井健一氏は「刷り込まれてきたキャリア観から抜け出し、新たな仕事観をプロットすること」と唱えます。新井氏の著書『それでも、「普通の会社員」はいちばん強い 40歳からのキャリアをどう生きるか』(日本経済新聞出版)から抜粋します。
コロナ禍で一変した強迫観念の日々
新型コロナウイルス禍が、個人や家族の生活スタイルや役割分担を大きく変えたことは間違いない。
このコロナ禍、わが家ではそれまでなかったことだが、妻が外に働きに出て、夫(筆者)は在宅で仕事をし、家事の一部を分担している。
2020年の4月にちょうど子供が小学校にあがり、わが家の引っ越しも一段落したころ、妻がまた外に働きに出ることを決めた。ちょうど、新型コロナウイルスの感染拡大という世界情勢と日本のイチ家庭の諸事情が重なり、日々の仕事や家事に関する役割分担やスタイルが、いわば劇的に変わったのだ。
具体的には、夫が今週はどの部屋から順番に掃除機をかけるかを決めて作業にかかり、時には床を水拭きする予定も立てる。夕方には妻が干していった洗濯物を取り込み、学校帰りの子供におやつを食べさせ、犬の散歩を済ませてから、夕食の支度をする。日常のゴミは、妻が出勤の道すがら所定の置き場に捨てて、そのまま駅に向かう。段ボールなどの日は夫が手伝う。ちなみに風呂掃除は子供の仕事だ。
そして、夫が分担する一日の家事は、夕食の後片付けと明日の仕込みを済ませることで完了する(と、これらを例えばオンライン研修の講師をしながら、研修開始前と終了後、休憩時間等をフル活用して行う)。
ザッと日々の生活を振り返ったが、このような毎日が、いまやすっかり定着しつつある。
では、おおよそコロナ前、2019年の生活はどうだったのか。経営コンサルタントであり研修講師である夫は、とにかく公共交通機関を利用した移動に追われる生活をしていた。朝早く出かけていき、日中の仕事を済ませ、その足で新幹線か航空機に乗る。移動時間も仕事をし、前泊先のビジネスホテルには終電のおおよそ2時間前に到着、居酒屋のチェーン店を頼りに夕食をとる。
そんな毎日を過ごしながら、常に考えていたこと、それは何をおいても訪問先を決して間違えず、かつ、決して遅刻せず(より正確に言えば、イベント開始30分前には)現場に到着していることだ。そして、無事に到着しさえすれば、その日の仕事の多くは片付いたと言ってしまっても過言ではない。
ほんの3年と少し前まで、筆者の日常は、このような強迫観念が仕事の範疇(はんちゅう)を超えて生活を支配し、実体も定かでない何かにせかされながら一年など瞬く間に過ぎていく、そのような暮らしぶりだったのである。
そんな筆者は、いま日がな一日家にいて内容としては同じ仕事をしながら、これまで妻におんぶに抱っこの状態だった家事を分担している。
さて、この夫が直面している状況の劇的な変化、読者にとってこの変化は快適だろうか、苦痛だろうか。
「頑張らない方法」の指南書に学ぶこと
ここ数年書店に並ぶ書籍には、“頑張らない方法”を指南するかのような内容のものが見受けられる。例えば次の3冊だ。
(1)『
あやうく一生懸命生きるところだった
』(ハ・ワン著/岡崎暢子訳/ダイヤモンド社)
(2)『
今日も言い訳しながら生きてます
』(ハ・ワン著/岡崎暢子訳/ダイヤモンド社)
(3)『
昼スナックママが教える45歳からの「やりたくないこと」をやめる勇気
』(木下紫乃著/日経BP)
まず(1)と(2)だが、著者であるハ・ワン氏は、40歳を前にして何のプランもないまま会社を辞め、「一生懸命生きない」と決めた。それまで〈頑張って!〉〈ベストを尽くせ!〉〈我慢しろ!〉という投げかけに懸命に応えてきたが(少なくとも、応えようとしてきたが)、それで幸せになるどころかどんどん不幸になっている気がする……そんな抑えがたい思い、身体が訴える疲弊感が、氏にこれまでの自分や自分を縛り付けていた環境と決別させた。
次に(3)は、「昼スナブーム」の火付け役としても知られている木下紫乃氏(紫乃ママ)が同スナックの主な来店客層である40代50代に向けて書いたものだ。
ではこれらの指南書は、読者に何を伝えようとしているのか?
それは、本人の意に沿わない、好きになれない、やる気がでない、もしくは苦手意識がぬぐえない仕事や働き方をわざわざ選択しない方法。もしくは現にそのような仕事や働き方を強いられているのだとしたらその状況に甘んじることなく、理想を探求するための方法を指南しているのではないだろうか。
キャリアとは単なる職務経歴にとどまるものではない。キャリアとは、イチ個人の生きざま(必ずしも生きがいではないし、生きがいと結びつける必要もない)を表現する言葉でもあるのだ。
確かに、個人の生きざまなどは、当人の自由意思により選び取るものであり、他人がその是非を軽率に論ずるような代物ではない。しかしながら、自分の生きざまを外に向けて発信したり、他者から引き出したりすることはできる。他の誰もが同じ自由をもっているように。
そして、ここで挙げた2人の著者が、キャリアの中心に据えている価値観が「自分の基準で心地よく生きる」ということなのだと筆者は考える。
40代50代にはリハビリが必要
ただ、キャリアというものは単にカネを稼いで生きていくための手段、サバイバルの手段としてのみ捉えている個人にとって、この価値観を受け入れることはなかなか難しい。
確かに、人はサバイバルだけのために生きているのではないが、サバイバルできなかったら自分らしく生きていくこともできないからだ。そして、多くの職業人が、「キャリア=サバイバル」という価値観の一側面のみを強く刷り込まれてきた。
いずれにせよ、紫乃ママが想定したような読者層(筆者も含めた40代、50代)には特に、これまで刷り込まれてきたキャリア観を見つめ直すための、いわばリハビリが必要なのである。
これについて紫乃ママは意識的に3つの場をもうけて人生のバランスをとれと言っている。では、3つの場とは具体的にどんな場なのだろうか?
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人生のバランスをとる3つの場
- (1)すぐにお金になる場……勤務先など今の会社
- (2)興味があることをやる場……ボランティアや起業している人の手伝い
- (3)自分がやり続けたいことをやる場……趣味のコミュニティーなど
この3つの場とキャリアを重ね合わせて考えてみると、(2)と(3)はすぐにはお金にならないかもしれないが、いつかお金になるかもしれない、もしくはそこにある人間関係が(打算は抜きにしても)他の場である(1)(2)に役立つかもしれない。
さて、ここで長すぎた前置きについて、言い訳する機会を得た。筆者は、このコロナ禍で、図らずも(1)以外の場を見つけたのだ。それは家事の存在である。
家事が(2)なのか、それとも(3)なのか、それは自分でも判然としないが、筆者は引き続き家事を楽しむ経営コンサルタントであり、講師であり、作家でありたい。
窮屈な「枠」から逃れて心地よく働く
では、あらためて仕事とは、我々にとってどのような意味があるのか、我々はそれから何を得るのかを問うたときに、生きがい(生きる目的)と答える人もいれば、生活の糧(生きる手段)と答える人もいるだろう。
そして多くの人が、「生きる目的」と「手段」の間に自らの仕事をプロットするのだ。
その際に自覚すべきは、「サラリーマンという生き方=経済重視、中流意識、他律管理――勤勉、競争、犠牲、画一、忍耐」という刷り込みの価値観を、意識して見直すことだと感じる。
日本人は諸外国民に比べて自己肯定感が極端に低い(自分には何もないという思い込み)。そして、40代50代の世代は特に「働くとはかくあるべし」「ジェンダーはこうあるべし」というような強い刷り込み(窮屈な「枠」に自らハマってしまっている)を受けてきた。
その強固な価値観を「自分の基準で心地よく生きる」ために再構築していくために、我々は何より広く見聞し、交流し、行動するよりほかに道を切り開く術はない。
そしてその過程は、自分なりの心地よさをさぐる楽しいものであるとよいのだが――。
新井健一著/日本経済新聞出版/1760円(税込み)


