東京ガスの笹山晋一社長にインタビューし、自身の「読書の軌跡」を伺いました。第1回は地元・岡山県倉敷市にまつわる本や、小学生のころの思い出の本、さらに高校時代に勉強をサボって読みふけった本について語っていただきました。(聞き手は、日経BOOKプラス編集長 常陸佐矢佳)

郷土の魅力を再認識した1冊
私の地元は岡山県倉敷市で、江戸時代の風情が残る観光地としても知られるエリアです。幼い頃は、なんだか古臭い街だな、と思って過ごしていましたが、大学進学で上京すると一変し、帰郷するたびに街並みの美しさや静寂を慈しむようになりました。実家の近くには大原美術館があります。日本初の西洋美術中心の私立美術館で、その一帯は美観地区に指定されており、帰ると必ず散歩しています。そんな散歩中にふと、いま一度倉敷の歴史を知りたいと思い、手に取ったのが城山三郎の『 わしの眼は十年先が見えるー大原孫三郎の生涯ー 』(新潮文庫)です。
大原孫三郎は倉敷を拠点にした大原財閥の総帥で、紡績や電力、銀行など多くの産業を創出し、経済成長をけん引した人物です。加えて、大原美術館の設立をはじめ、倉敷の文化を形づくりました。それらは当然知っていましたが、詳細な経緯については詳しく知らなかったのです。この本を読んだおかげで、大原孫三郎の理想を追求する生き様にも触れられて、その魅力を堪能できました。タイトルになっている「わしの眼は十年先が見える」は、本人の口癖だったそうです。
これは子どもの頃の謎だったのですが、大原美術館の数軒隣に「あずみ」というそば屋があります。倉敷は関西圏でうどん文化が圧倒的に強く、そば屋はそこ1軒だけ。それがずっと不思議だったのですが、本書を読んで真相が分かりました。大原孫三郎の息子・總一郎は、「いずれ関東地方から美術館を目当てに多くの観光客が訪れるだろう、関東の人はそばが好きだから、そば屋があれば喜ぶに違いない」と考え、長野のそば屋に移転を勧めて開店させたのが「あずみ」の始まりだったそうです。店の経営が軌道に乗るまでは、大原家が応援したといいます。
本書の著者である城山三郎の本は、8割方読んでいます。直木賞を受賞した『 総会屋錦城 』(新潮文庫)をはじめ、相場の神様といわれた山種証券創業者の山崎種二をモデルにした『 百戦百勝 働き一両・考え五両 』(角川文庫)、高度経済成長を推進した通産官僚の奮闘を描いた『 官僚たちの夏 』(新潮文庫)などの他、当社の創業者である渋沢栄一の半生を描いた『 雄気堂々 』(新潮文庫)も、もちろん読みました。

初めて読んだ文庫本『ブンとフン』に衝撃を受けた
子どもの頃から読書は好きで、小学校の中学年ぐらいまでは児童書のSFや探偵ものを好んで読んでいました。シャーロック・ホームズや怪盗ルパン、怪人二十面相のシリーズものなど。児童書ではない文庫本を初めて読んだのは小学5年生の時で、井上ひさしの小説家としてのデビュー作『 ブンとフン 』(新潮文庫)でした。売れない小説家が創作した大泥棒が、現実世界に飛び出して様々な事件を巻き起こす、というユーモア小説です。なぜはっきり覚えているのかというと、芸人で元参議院議員の水道橋博士さんから誕生日プレゼントにもらった本だったからです。
水道橋博士さんとは幼稚園の時からの仲で、家も歩いて5分ぐらいの所にありました。彼が本の虫であることは知っていましたが、『ブンとフン』をもらって読んだ時、こんな大人びたものを読んでいるのか!と驚きました。彼は純粋に「面白い」と読んでいたようですが、児童書ばかり読んでいた当時の私からすると、未踏の地に踏み入る高揚を覚えずにはいられませんでした。
現代の戯作者といわれた井上ひさしの作品ですから、ギャグやダジャレがちりばめられ、面白おかしく書かれていることは言うまでもありません。書中に突如「のりしろ」が出てきて、「ここのシーンは親の誤解を招かないために貼っておきましょう」といったことわりもあったか、と。ただ、幼心にもぴりりと風刺が刺さってウーンと考えさせられたわけです。きっと、水道橋博士さんは、私の何倍も深くくみ取っていたことでしょう。大学時代に彼の下宿に遊びに行った時、『 時計じかけのオレンジ 』(アントニイ・バージェス著、乾信一郎訳、早川書房)などの社会風刺小説があるのを見て、風刺好きは変わってないな、と思った記憶があります。

勉強をサボって読みふけった『宮本武蔵』
高校時代に夢中になった本といえば、「岡山の剣豪」と呼ばれる『 宮本武蔵 』(吉川英治著、新潮文庫)です。本書は、武蔵が粗野で血気盛んな若者だった頃から始まり、内面的な成長を遂げて剣の道を究めていく姿が描かれています。数巻あるにもかかわらず、全巻まとめて買って一気に読んだ記憶があります。きっかけは、中村錦之助(後の萬屋錦之介)が宮本武蔵役を演じた映画を見たことで、勉強をサボって読みふけりました。
本書は巌流島の戦いで終わりますが、その後の武蔵の生き様が気になり、『 それからの武蔵 』(小山勝清著、集英社文庫)や、武蔵を痛烈に批判する論考を含む坂口安吾の『堕落論』、そして武蔵自身が著した兵法書『五輪書』など、武蔵関連の本は一通り読みました。
『五輪書』で説かれる「観見(かんけん)の目付(めつけ)」という戦いにおける目の使い方の極意は、ビジネスの世界でも、マネジメントや経営戦略などの文脈でよく引用されます。私も東京ガスグループ員向けの記事で書いたことがありますが、端的に言うと「観の目」は全体を捉えて大局的に見ることで、「見の目」は局所を見ることになります。別の言い方をすると「鳥の目」と「虫の目」で、この2つの目を使い分けることが物事の本質を見抜くカギになる、ということです。
武蔵が、『五輪書』の中で「一理に達すれば万法に通ず」と言っているとおり、1つのことを極めようとする感覚や技術は、分野を超えた真理のようなものがあるのでしょう。当社所属の競泳選手で、東京・パリパラリンピック金メダリストの木村敬一選手と対談をした時、彼はアメリカの友人から「『五輪書』(英訳版は『The Book of Five Rings』)はとても良い本だよね」と言われたことがあったそうです。アメリカの海軍での必読書になっているとか。このエピソードは、彼の著書『 闇を泳ぐ 全盲スイマー、自分を超えて世界に挑む。 』(ミライカナイ)にも書かれています。


文/茅島奈緒深 構成/南浦淳之(日経BOOKプラス) 写真/鈴木愛子
