政治学者の村井良太・駒澤大学教授による、「オーラル・ヒストリーで知る戦後日本」。2回目は『舞台をまわす、舞台がまわる 山崎正和オーラルヒストリー』(御厨貴、阿川尚之、苅部直、牧原出編)を取り上げる。幼少期を満州で過ごした山崎は、無政府状態というものがいかに恐ろしいかを体験する。戦後になって一時共産党員になるが離党。その後、米国留学を経て大学教員に。佐藤栄作内閣、大平正芳内閣をサポートする保守派の論客となっていく。本の終盤にある自分も「『戦後民主主義の子』だったな」と吐露する場面は印象的だ。
「東京学派」の功績
昨今、「オーラル・ヒストリー」という言葉は、ずいぶん市民権を得るようになった気がします。それはひとえに、1990年代以降、伊藤隆さんや御厨(みくりや)貴さんを中心とする東京都立大学、政策研究大学院大学、東京大学先端科学技術研究センターにおける政治史のオーラル・ヒストリーの取り組みが、量においても質においても、圧倒的な存在感を示した結果だと思います。長く関西にいて第三者である私は、敬意を込めて彼らを「東京学派」と呼んでいます。
東京学派によるオーラル・ヒストリーの定義は「公人の、専門家による、万人のための口述筆記」。「公人」とは政治家など、「専門家」とは政治学者や行政学者や歴史学者などを指します。そして極めて大きなポイントは「万人のための」で、記録として残して社会全体で使えるにしようということです。
加えて彼らは、オーラル・ヒストリーの可能性を切り開いてきました。対象の1人に一生を語ってもらうライフヒストリー的なものが基本形ですが、1人に対して分野の違う複数の専門家が別個に聞いたり、1つのテーマについて複数に語ってもらったりというパターンも試しています。
この一連の活動は、学術的に政治学と歴史学を架橋し、ジャーナリズムとアカデミズムを架橋したとともに、文化運動としても多大な足跡を残したと思っています。以前の政治家は、「多くを語らないことこそ美徳」「秘密は墓場まで持っていく」と考える傾向がありました。しかしオーラル・ヒストリーの台頭により、すべてを話し残すことに価値があるという文化が生まれたのではないでしょうか。
幼少期の苛烈な経験が生涯の信念を生む
そんなオーラル・ヒストリーの佳作の中で異彩を放つのが、『 舞台をまわす、舞台がまわる 山崎正和オーラルヒストリー 』(御厨貴、阿川尚之、苅部直、牧原出編/中央公論新社)です。前回ご紹介した『 岸信介証言録 』(原彬久編/中公文庫)の舞台は、主に高度経済成長期の夜明け前か始動期でした。それに対して本書は、高度経済成長期とその後の様子が語られます。
山崎正和の本業は劇作家であり、評論家であり、日本を代表する知識人です。政治家ではありません。その山崎に対し、御厨さんをはじめ都合4人の方々が、それぞれの専門分野をベースに、主に政治との関わりについて尋ねています。知識人という対象も含め、当時の東京学派としてもチャレンジングな作品だと思います。
話は戦前、満州で過ごした幼少期の強烈な記憶から始まります。終戦を迎えた後もしばらく残留するわけですが、そこで語られるのは阿鼻叫喚(あびきょうかん)の世界です。その経験から、山崎は以下のように吐露しています。
「私はどの政治学者よりも、無政府状態がいかに怖ろしいかを知っています。そしてどんなに悪い政府でも、無政府状態よりはまだましだという信念の持ち主です」
これは、恐らく生涯の活動の原点になる心情だと思います。
やがて日本に引き揚げ、京都で共産党員になりますが、山村工作隊の活動など党の方針や暴力性に幻滅し離党します。「それでも私のどこかに社会民主主義的な心情が残っている」と語られている点は、いかにも戦後日本らしい話でしょう。
その後、劇作家と美学者の二足のわらじを履いていく中で、フルブライトの交換留学制度によって渡米します。イエール大学のドラマスクールで自ら書いた世阿弥の本を英訳し、ニューヨークで公演するに至っています。
こうした幼少期から青年期のエピソードは、一般的な山崎のプロフィルではなかなか紹介されないかもしれません。本書では、それをマニアックなまでに詳細に聞き出しています。ある種の成長物語として読めると同時に、その後の思想や活動に少なからず影響を及ぼしていると、知ることができます。
戦後民主主義が育つ過程を知る
アメリカ体験を終えて帰国した山崎は、大学教員の職に就きます。時代はちょうど70年安保で大学紛争が盛んなころ。佐藤栄作内閣で総理首席秘書官だった楠田實が、政界とアカデミズムを結び付ける役割を果たします。山崎も楠田の手引きで政治と関わるようになり、大学紛争を鎮める側として動きます。これを機に、後の大平正芳内閣以降も政府の審議会や懇談会などのメンバーとして名を連ねるようになるわけです。
考えてみれば、60年安保の時代は高度経済成長の始動期であり、戦後日本が右へ進むか左に傾くかという瀬戸際の時期でした。それに対して70年安保の終息は、日本が経済大国への道を歩み始める契機となりました。一連の証言は、この激動の時期の裏面史として読むこともできます。
山崎によれば、近代日本において明治第1世代と戦後第1世代には共通点があるとのこと。国家としてまだ小さく、誰かが支え、手を引いてあげなければいけない存在であるということです。自身もその支え手となり、「少なくとも民主主義は守った」という言い方をされています。
一般的に、民主主義のために戦うのは主に左翼というイメージがあります。60年安保や公害反対運動などはその典型でしょう。しかし実際には、政権に極めて近い知識人もまた、戦後民主主義を守るために戦っていたのです。
本書の最終盤では、「私は自分を『戦後民主主義の子』だったなと思っています」と吐露しています。今では当たり前過ぎて実感しにくいかもしれませんが、かつて日本には戦後民主主義が生まれ、育っていくプロセスがありました。それを現在からの視点ではなく、渦中からの視点で読めることは貴重だと思います。
「関西復興運動」にも尽力
それから興味深いのは、海外に向けた宣伝や交流が大事と説いている点です。それも政府の外交に任せるのではなく、民間も積極的に関わらなければいけないとしています。
終戦後の日本は、海外からまだ危険視されていました。いつ民主主義が倒れるかもしれない、軍国主義が復活するかもしれないと疑われていたのです。しかも60年代後半になると、貿易摩擦などの問題も台頭し始めます。その悪い印象や懸念を払拭するために、政府は等身大の日本をもっと海外に知ってもらう必要があると考えます。
その機会の1つが1964年の東京五輪であり、1970年の大阪万博でした。山崎のような知識人や大学関係者も、こうした活動に少なからず携わったそうです。時々の政府の考え方を、個人の体験を語る中で感じさせてくれるのも、本書の魅力だと思います。
もう一点、私自身が神戸大学出身のためかもしれませんが、「関西復興運動」に携わった話を非常に興味深く読みました。山崎は長く大阪大学の教員を務め、関西を拠点に東西を移動して活動していました。かつて大阪を中心とする関西は経済・文化の中心でしたが、今はその勢いを失っている。それを取り戻し、東京一極集中から多極集中にシフトすることが、日本の多様性を確立する上でも欠かせない、と熱っぽく説いています。山崎にとってその運動の1つの帰結であり手掛かりが、サントリー文化財団の設立でした。
誰が「舞台」を作ってきたのか
本書は、1人の知識人の成長物語であるとともに、その時々の日本の政治や社会の変遷をたどる戦後史でもあります。なぜ政治当局者でもない山崎のオーラル・ヒストリーに価値があるのか、読み進めていくうちに理由が見えてくると思います。
表舞台に立っている人、第一人者と呼ばれるような人は、それぞれ社会に請われて経験を積み重ね、頭角を現してきた経緯があります。そういう人々の尽力あって今の日本が形成されています。その重厚な歴史に触れるには、オーラル・ヒストリーをひもとくことこそが王道だと思います。
取材・文/島田栄昭 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集) 写真/木村輝


