世界の掃除を変えた革命的ヒット商品、花王「クイックルワイパー」誕生の裏には、開発者たちの知られざる苦悩と、6年にわたる経営陣との激しいバトルがあった。会社から見放され、追い詰められながらも、大ヒット商品へと導いた異端開発者たちの奮闘ぶりを、花王の現役上席執行役員がつづった『6200万本売れた「ダメ出し商品」 花王「クイックルワイパー」誕生の大逆転物語』から一部再構成してお届けする。今回は花王が「紙事業」に踏み出した背景について説明します。[日経クロストレンド 2025年12月22日付の記事を転載]
「紙」の技術を生かしたトイレクイックルがヒット
花王は今や衣料用・住居用洗剤からビューティケア、ヘルスケア、化粧品、ケミカルまで多彩な商品を手掛けていますが、85年までは「花王石鹸」という社名でした。
遡ると、1890(明治23)年、国産の高級化粧せっけん「花王石鹸」を発売した花王は、社名の通りせっけんの会社でした。その後、髪の毛から衣類、住居まで、様々なものを対象に「洗う」領域を広げ、事業を拡大していったのです。
私が入社した翌1987年、「スプーン1杯で驚きの白さに」のキャッチコピーで発売したコンパクト衣料用洗剤「アタック」が大ヒットしました。さらに花王は、不織布や高吸水性ポリマーへと技術領域を広げ、生理用ナプキン「ロリエ」(78年)や紙おむつ「メリーズ」(83年)を発売しました。
不織布とは、文字通り「織らない布状のもの」を表した言葉です。細い繊維に水を高圧で噴射し、絡め合わせて製造します。身近なものでは、マスクに使われていることで知られています。
紙・不織布のノウハウを生かし、ロリエやメリーズに次ぐさらなる新商品を生み出そうと、86年、家庭品研究所(栃木県)に「紙研究室」が立ち上がりました。集められたメンバーは、衣料用洗剤や住居用洗剤の研究開発に携わっていた研究員たち。彼らは大きな市場があるものの、花王がまだ参入していなかったキッチンペーパーやティッシュペーパー、トイレットペーパーなどの商品化を検討し始めたのです。
紙製品の試作をするために高知県の製紙会社まで買収しましたが、結局このプロジェクトは不発に終わりました。
一方で、住居用洗剤などを手掛けるハウスホールド事業本部では、アタックをはじめとする洗剤の技術と不織布のノウハウを融合させて、従来の洗剤型ではなく、掃除用品型の商品開発の検討が始まりました。
その結果、最初に発売したのがトイレクイックルでした。
トイレには水場がありませんから、掃除するにはバケツにわざわざ水をくんできて、雑巾で拭かなければなりません。しかも、使ったブラシなど、汚れたものをトイレに置いておくのは嫌なものです。
これに対して、トイレクイックルはシートで便器を拭くだけでトイレ掃除が完結し、なおかつ使ったシートをそのまま便器に流せるという、当時としては画期的な商品でした。
その頃、トイレの床は地域によって素材に違いがありました。東京では昔からプラスチック系の床材などでしたが、西日本は全面タイル張りが主流でした。西日本では「まぜるな危険」の強力な塩素系のトイレ用洗剤で、便器もトイレも一緒くたに洗い流していたのです。
ところが、西日本のトイレの様式も徐々に〝東京化〟していきました。東京と同じように便器を拭き掃除するようになっていったのです。こうした住環境の変化が、トイレクイックルの追い風になりました。
二匹目のドジョウはいなかった
トイレクイックルがヒットすると、当然、「さらなる紙・不織布製品を出していこう」という方針が打ち立てられます。当時、L社が「リード」というキッチンペーパーを出していました。リードのような商品を不織布で作れないか、研究開発を進めました。その結果、90年に台所用掃除シート「マイペットクロス」(現キッチンクイックル)を発売しました。ところが、これが思ったほど売れませんでした。
翌91年には洗えるペーパーふきん「スマッシュ」という商品を発売しましたが、これがまた売れませんでした。市場に、二匹目、三匹目のドジョウはいなかったのです。
今思えば、トイレクイックルでやめておけばよかったのかもしれません。マイペットクロスやスマッシュという紙・不織布のラインアップを増やしたがために、愛媛県にある自社工場に何十億円も投資し、まるで「戦艦大和」のような巨大な生産設備を造ってしまったのです。ところが、マイペットクロスとスマッシュの売れ行きが不振だったため、せっかくの工場もまったく稼働していませんでした。
「紙事業は失敗だった……」
社内では、すでにそう評価されていたのです。
メーカーにとって、工場を造ることは大きなリターンを見込める一方で、失敗したときのリスクが大きい。投資した設備が生きれば利益が生まれますが、稼働しなければ赤字を垂れ流す単なるお荷物です。
このようなありさまですから、紙事業撤退もやむなし、くらいの危機的状況だったのです。私が紙事業本部に異動してきたのは、そんな超逆風が吹き荒れる真っ最中だったのです。
原料調達から販売まで自己完結の「バーティカル・インテグレーション」
なぜ、花王は紙事業を拡大するに当たって、莫大なコストをかけてまで巨大な生産設備を手に入れたのでしょうか? その裏には、花王ならではのビジネスモデルがあります。
その名も「バーティカル・インテグレーション(垂直統合)」。原料調達から研究開発、生産、販売まで、一貫して自分たちが担うのが花王のやり方でした。
化学品部門で原料から自社で作っているなどは、その象徴といえるでしょう。他の日用品メーカーは、基本的に原料は原料メーカーから調達します。原料から自社で賄う日用品メーカーは、世界中を探してもほとんどありません。
例えば、花王のマレーシア法人では、ヤシの木を育てている隣の会社とパイプでつなぎ、アブラヤシのパームを搾った液を仕入れて化学処理し、洗剤やシャンプーの原料を作っています。
一時期は、製品の広告でさえ、外部の広告会社などにお願いすることなく自前主義を貫いていたほどです。社内には広告制作を担う作成部があり、スタジオまで持っていたのです。どれだけ手間暇をかけても、自分たちの手でお客さまの満足度を上げたい。花王は驚くほど生真面目な会社なのです。
当時の花王は、自社で生産設備を持たない今どきのファブレスメーカーとは対極に位置していました。まず求めるゴールを明確にした上で、それに必要かつ最適な生産手段をそろえるコーゼーション(因果論)。花王は、このアプローチの権化とも思えるようなやり方を追求する会社でした。
高度経済成長期までは、これは花王の強みでした。しかし、失敗すると危険です。投資リスクが大きい。生産のスピードも落ちかねません。
花王も現在は外部の様々な会社に協力していただくようになりましたが、それでも根っこにある「全部自分たちでやりたい」というスピリッツは今も変わりません。ただし、当時の紙事業では、そのスピリッツに従い自社で巨大な生産設備を造ってしまったことが仇(あだ)になってしまいました。
(次回に続く)
塗谷弘太郎(著)、日経BP、2200円(税込み)


