貧困や飢餓など開発途上国が直面する難題に、経済学の視点からアプローチする開発経済学。「経済学の書棚」第36回前編では、開発経済学の中・上級者向け教科書で辞典代わりにも使える『開発経済学 実証経済学へのいざない』、架空の途上国を舞台とするユニークな教科書『ストーリーで学ぶ開発経済学』を取り上げる。

開発経済学は貧困や飢餓など開発途上国が直面する難題に、経済学の視点からアプローチする研究分野。「経済学の書棚」第36回前編では、開発経済学を体系的に学べる教科書(入門書)を紹介する
開発経済学は貧困や飢餓など開発途上国が直面する難題に、経済学の視点からアプローチする研究分野。「経済学の書棚」第36回前編では、開発経済学を体系的に学べる教科書(入門書)を紹介する
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研究論文を読みこなす力がつく

 開発経済学は貧困や飢餓など開発途上国が直面する難題に、経済学の視点からアプローチする研究分野である。第2次世界大戦後、急速に発展してきたが、その内容は時代の変遷とともに大きく変化してきた。前編では、開発経済学を体系的に学べる教科書(入門書)を紹介する。

 京都大学准教授の高野久紀著『 開発経済学 実証経済学へのいざない 』(日本評論社/2025年4月刊)は、中・上級向け教科書の決定版だ。

『開発経済学 実証経済学へのいざない』(高野久紀著)。開発経済学の中・上級向け教科書の決定版。画像クリックでAmazonページへ
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 高野氏によると、開発経済学とは、開発途上国と呼ばれる国々が直面しているさまざまな問題に対し、経済学のさまざまな知識や分析手法を動員してその原因や仕組みを分析し、解決方法を探究し、人々の生活水準の向上を目指す学問であり、現実志向性・政策志向性の強い学問だ。

 同書は、統計学と経済理論の基礎から入り、読了すれば開発経済学の研究論文の8割程度は理解できるレベルに到達できるとうたっている。研究者を目指す人には最適な教科書であり、途上国の問題に関心を持つ人であれば、開発経済学の最前線と全体像が凝縮されている辞典代わりの本として手元に置くのもよいだろう。

 第1章では、戦後以来の開発経済学の潮流に触れている。初期の開発経済学では、アーサー・ルイス氏(1979年にノーベル経済学賞を受賞)の「二重経済モデル」が代表的な研究だった。賃金が労働の限界生産性によって決まる市場経済型の「都市製造業部門」と、労働の限界生産性が低くても生存賃金が与えられる伝統的な「農村部門」からなる経済を描写したモデルだ。

 途上国はなぜ、先進国と同様な経済成長を実現できないのかを解明するのが研究の主な目的で、農村から都市への人口移動、工業化のプロセスなどの理論モデルを作り、途上国の市場構造の特殊性をモデルに取り入れる研究が活発だった。

 2000年代に入ると、理論研究が中心だった経済学界に変化の波が押し寄せ、実証分析の勢いが増す。とりわけ変化が大きかった分野の一つが開発経済学であり、ランダム化比較試験(RCT)や因果推論の手法の発達により、データ分析に主眼を置く研究が急増する。

 RCTとは、ある政策を実施する(政策介入する)グループ(介入群)と、実施しないグループ(対照群)を無作為に分け、両者の結果を比べて政策効果の有無を判定する手法を指す。

 2010年代には、政策の効果測定だけではなく、「なぜ効果があったのか(なかったのか)」というメカニズムの解明や、政策効果が個々人によって異なる「効果の異質性」に対する関心が高まる。ローカル・コンテクスト(地域的文脈、地域性)が政策効果に与える影響を意識するようになった。

 同書に沿って開発経済学の近年の潮流を改めておさらいしよう。2000年代に開発経済学は実証分析に大きく舵(かじ)を切った。その流れは現在も続いているが、2010年代以降は、メカニズムの解明にも目を向けるようになった。現在はさまざまな状況を描写するさまざまな経済理論が生まれており、理論とデータを融合する実証分析の手法も大幅に進歩してきたという。

 途上国の経済社会開発が進んで市場の機能が改善する一方、経済学でも、不完全競争や取引費用、輸送費用、サーチ費用といった市場の摩擦、それに伴う資源配分の歪(ゆが)みなどを組み入れた、より現実的なモデルが普及してきた。その結果、先進国と途上国の経済の違いは、市場の摩擦の程度などモデルのパラメータの差として考えられるようになり、開発経済学は標準的な経済学に、より統合されてきているとの認識を示している。

 開発経済学は、途上国の特殊性を考慮した理論モデルを構築する学問から、最先端の経済理論や実証分析の手法を使って途上国について研究する学問へと変容したのである。

 こうした潮流を踏まえ、まず、「実証分析の作法」(第2章)で回帰分析やRCTといった因果関係の推定の基礎と統計的推測について解説する。現代経済学の中核をなす実証分析の手法であり、開発経済学以外の分野への応用も可能だ。

健康、教育、金融、経済発展の理論と実証を解説

 続いて各論に入り、「命と健康の問題」(第3章)、「教育」(第4章)、「リスク」(第5章)、「借入と貯蓄」(第6章)、「国家の経済発展」(第7章)と開発経済学の主要なテーマを取り上げ、それぞれの章で、各テーマを代表する理論、実証分析の手法、最新の研究動向を紹介している。ジェンダーや環境、移民、債務問題などは十分に扱えていないと高野氏は断っているが、主要なテーマを網羅している教科書だといえる。

 一橋大学教授の黒崎卓氏、関西学院大学教授の栗田匡相氏の共著『 ストーリーで学ぶ開発経済学 途上国の暮らしを考える 』(有斐閣/2016年3月刊)は、ユニークなスタイルの教科書だ。「プロローグ」では、単なる入門編の教科書ではなく、開発問題への先端的なガイドブックを目指していると説明している。

『ストーリーで学ぶ開発経済学 途上国の暮らしを考える』(黒崎卓、栗田匡相著)。入門編の教科書ではなく、開発問題への先端的なガイドブック。画像クリックでAmazonページへ
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架空の途上国で物語が展開

 「アスー国」という名の架空の途上国が舞台で、農村や都会で暮らす一家(6人家族の設定)や、「経済開発省」に勤務する若手官僚とその上司らが登場する。登場人物が織りなす物語を楽しみながら開発経済学の基礎を学べる。

 同書によると、最近の開発経済学は、行動経済学、空間経済学などの新たな経済理論や革新的な実証分析ツールを活発に取り入れて急速に発達しており、同書ではそうした最先端の議論を数多く紹介している。開発問題のうち、低所得国や下位中所得国がいかに絶対的貧困から脱出できるかに焦点を絞っている。

「何が問題なのか」を整理

 物語は、第1章「農業」から始まる。農村での暮らしを描写した後、「何が問題なのか」を整理する。

  • (1)土地生産性が低く、十分な食料を生産できない。
  • (2)地主に高い小作料を取られる。
  • (3)毎年の作物の出来、不出来で、生活が大きく揺れ動く。
  • (4)新技術に関心はあるが、正確なやり方がわからないし、割高な投入財を使って成果が出なければ借金だけが残る。

 それぞれの背景を経済学の考え方を使って説明し、解決策を提案する。

 「農村信用市場」(第2章)、「教育と健康」(第3章)、「労働移動」(第4章)と農村から都会に舞台を移しながら、前半は6人家族を中心に物語を展開する。

 後半の主役は若手官僚で、「経済成長と工業化」(第5章)、「技術移転」(第6章)、「開発金融」(第7章)、「開発援助」(第8章)、「持続可能な開発」(第9章)といったテーマを取り扱う。

 物語を展開した後、「何が問題なのか」を抽出し、経済理論や実証分析の助けを借りながら解決策を導き出す構成で統一している。

 第4章では、ルイスモデル、ハリス=トダロモデルと呼ばれる古典的な人口移動理論、個人や家計のミクロレベルの実証分析の動向や、地域統合と経済活動や人口移動の関係を分析する空間経済学、第8章では、途上国への援助プロジェクトの効果を測定する手法としてランダム化比較試験(RCT)を紹介している。

 一方でRCTの限界も指摘する。(1)マクロ経済政策やガバナンス改革、組織の能力構築、地域住民のエンパワーメント(権限の付与)、大型インフラプロジェクトなどはRCTには向かないため、評価方法に関するさらなる研究が必要、(2)政策介入のインパクトを正確・客観的・定量的に計測することのみに焦点があるために、ミクロ経済学のメカニズムについての理解や、途上国の開発戦略といった大きな問題への理解が深まらない、の2点を挙げる。

 2点目に関しては、RCTと行動経済学の実験とを組み合わせたり、モデルのシミュレーション分析を組み合わせたりする必要があり、持続的な経済発展・貧困削減に向けた明確なビジョン、すなわち開発戦略の構築も大切だと強調している。

(後編に続く)

写真/スタジオキャスパー