開発経済学者たちは現地に足を運び処方箋を提示するが、何を重視し、どんな手法を活用するかで解決策は変わる。「経済学の書棚」第36回後編は、貧困問題に取り組む際の発想の原点を明らかにする『貧困と闘う知』、第一人者が40年あまりにわたる研究成果を総括し開発戦略を提示する『「革新と発展」の開発経済学』、全体像を示しながら、なぜ国際協力に取り組むのかと原点に戻って考える材料を提供する『入門 開発経済学』を紹介。
「RCTは豊かで汎用性が高い道具」
開発経済学者たちは開発途上国の実態調査を重視し、現地によく足を運ぶ。調査の結果から問題点を抽出し、解決策を提案するという流れはほぼ同じだが、このプロセスで研究者が何を重視し、どんな手法を活用するかによって、解決策は変わる。後編では、開発経済学者の世界観がよく表れ、開発経済学とは何かを改めて考えさせられる著書を紹介する。
2019年にノーベル経済学賞を受賞したエステル・デュフロ氏は『 貧困と闘う知 教育、医療、金融、ガバナンス 』(峯陽一、コザ・アリーン訳/みすず書房/2017年2月刊)で貧困問題に取り組む際の、発想の原点を明らかにしている。
同書はフランス開発庁(AFD)の協力で資金供与を受けた年間講座「貧困と闘う知」の一環として2009年に実施した講義をベースにしている。
デュフロ氏の研究の基盤は、ランダム化比較試験(RCT)である。「そのコンセプトの明快さ、その柔軟性、そしてそれが政策と研究の交差点に位置していることによって、ランダム評価は特別に豊かで汎用性が高い道具になった」
同書では、RCTによる研究成果を報告し、伝統的な政策はどの程度まで目的を果たせたのか、これほどまでに進歩が遅いのはなぜかを探る。さらに、「親や子ども、教師や医療従事者といったアクターの行動や動機の豊かさ」を明らかにし、より効果的な政策を立案するための道筋を提案している。
RCTを駆使して「下から」のアプローチを試みる同氏は、抽象的な議論を繰り返し批判する。「制度の役割や発展水準に関する議論は、歴史や比較の観点にどっぷりと浸っており、そこで分析の単位を構成しているのは国や大陸である。ところが、現場における制度の正確な形状が議論されることは、めったにない」
「大規模な改革」の効果に疑問符
「教育」(第1章)、「健康」(第2章)、「マイクロファイナンスを問い直す」(第3章)、「ガバナンスと汚職」(第4章)の順に、「大きな概念」や「普遍主義的なメッセージ」に鋭く切り込んでいく。
第1章では、「親、子ども、教員に何がモチベーションを与えるかについては、私たちは以前よりもよく理解できている。とはいっても、これらの三者が存在感を発揮するような教育制度をどうやって編成すればよいかについては、私たちにはまだまったく知識がない」と率直に述べ、大規模で体系的な改革(親の関与の拡大、学校の民営化など)の実際の効果は改革の唱道者たちが考えるほど明白ではないと「上から」の改革に疑いの目を向ける。
2006年にノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏が創設したグラミン銀行による「マイクロクレジット革命」もRCTによる再検証の対象だ。第3章では、「マイクロクレジットは本当に貧しい人々の助けになっているのだろうか」との問いを発し、マイクロクレジットの特徴(女性に対する貸し付け、連帯貸し付け)が回収率に与えている影響、資金使途(起業、消費)、融資の収益性などを点検している。マイクロクレジットは信用市場から切り離された潜在的な起業家にプロジェクトを実現できる可能性を提供するものの、普遍的な解決策にはなりえないと結論付けている。
大塚啓二郎著『 「革新と発展」の開発経済学 』(東洋経済新報社/2023年5月刊)は、開発経済学の第一人者による研究の集大成である。研究書ではあるが、難解な表現は避け、研究の内容を平易に解説している。
大塚氏の過去40年あまりにわたるアジアやアフリカの農業や工業の発展に関する研究成果を総括し、開発途上国における経済の開発戦略を提示するのが同書の目的だ。開発経済学は貧困削減にかかわる研究に主眼を置いており、農業や工業の全般的な発展なくしては貧困問題を解決できないと大塚氏はみる。
農業と工業の発展のエンジンは「革新」
農業にとっても工業にとっても発展のエンジンは技術革新であり、経営革新である。革新を基軸としていかにして経済を発展させるかに同書は焦点を当てる。
現在はRCTのように個別の施策の効果を厳密に評価しようとする研究が主流であり、体系的に開発を促す戦略は多くの研究者の視野に入っていない。しかし、「効果的な開発戦略を構築できないのであれば、開発経済学の存在意義はあまりない」と言い切り、農業と製造業の産業としての特性や発展のための条件を体系的に解き明かしていく。
開発戦略を導き出すまでの方法論にも触れ、農業や工業の発展の実態を理解するためには経済理論、実態認識、計量分析の知識の3本の柱が必要だと力を込める。
RCTは厳密で強力な分析手法だと認めながらも、問題はRCTを実施するに値するテーマは何かであり、まず現実を分析して、重要と思われる要因を見つけ出すという通常の実証分析が、やはり依然として大切だと説く。
「経済理論をしっかり理解し、現実を十分に理解し、適切な計量経済学的手法を用いれば、必ず意味のある実証研究ができる」と読者を勇気づけ、「どのようにして基礎的な経済理論を使って現実を理解するかについて、学ぶことができるように工夫をしたつもりである」と同書の狙いを説明する。
第2~11章では、穀物農業、高付加価値農業、零細企業からなる産業集積、小規模・中規模企業からなる産業集積、大企業中心のピラミッド型産業集積を取り上げ、第12章では、農業と工業が発展するパターンを以下のように集約する。
- (1)農業の発展と工業の発展の間には類似点が多く、その発展の成否は両者ともに革新が起こるか否かにかかっている。
- (2)穀物農業の場合には、革新的情報の農家間でのスピルオーバーによる効果が強いために、技術普及を推進する公的部門の役割が大きい。
- (3)工業の発展の場合も、革新的情報のスピルオーバーという外部性があるかぎり、公的部門による革新への支援が重要な役割を果たす。
- (4)農産物加工業の発展は農村工業化の核心であり、高付加価値農業への転換に不可欠である。
開発戦略の核心である「革新」とは何か。大塚氏は、この概念を経済学に最初に取り入れたヨーゼフ・シュンペーターに言及する。シュンペーターは革新の具体的な中身として「新しい製品の導入」「新しい生産法の導入」「市場の開拓」「新しい原材料や半製品(部品)の発見」「企業内の組織改革」を挙げた。
「新しい原材料や半製品の発見」を除けば、大塚氏が議論している「製品の質の改善」「生産方法の工夫」「マーケティングの改善」「部品管理を含む経営の改善」と類似している一方、相違点もあると注意を喚起する。
シュンペーターは「創造的破壊」をもたらすような画期的な変化を革新だと考えていたのに対し、大塚氏はたとえ漸進的な変化であっても経営の効率性を高めるのであれば、革新だとみなしている。また、シュンペーターは5つの革新の関係を明示的に論じていないのに対し、4つの革新は補完的な関係にあると考えている点が異なっている。
開発経済学者の使命とは
大塚氏が唱える農業と工業の発展戦略のエッセンスは以下の通りだ。
- (1)既存の農業部門や産業集積の育成を優先する。
- (2)革新を目指して、農民や企業家の人的資本に投資する。
- (3)外資系企業や海外から、技術や経営手法を学ぶ。
- (4)政府の役割は重い。既存の農業部門や産業集積に注目し、革新を目指して農民や企業家の人的資本に投資するのは基本的に政府の役割である。
途上国政府の役割の大切さを強調する一方、「開発経済学者こそが市場の失敗を見つけ出し、比較優位のある産業を特定化し、適切な政策を提言すべきである」と研究者たちに奮起を促している。
立命館アジア太平洋大学教授の山形辰史著『 入門 開発経済学 グローバルな貧困削減と途上国が起こすイノベーション 』(中公新書/2023年3月刊)は、開発経済学の変遷、世界の貧困の実態、開発途上国の成長経路、国際社会の貧困問題への取り組みなどを幅広く取り上げた入門書だ。
開発経済学の全体像を示しながら、「私たちはなぜ国際協力に取り組むのか」と原点に戻って考える材料を提供する。
第1章「開発経済学の始まりと終わり?」では、「開発途上国や国際開発のプロセスのみを記述するための特別な経済学が今なお要るのか」との問いから出発し、戦後以来の開発経済学の歩みを振り返る。途上国がその国民のうちの重要な一部である貧困層の生活水準を向上させるための経済学、途上国が生産物の競争力を高め、産業発展を進めるための経済学、途上国が地球環境の持続性を保ちつつ、国民の生活水準を上げていくための経済学は現在も求められていると訴えている。
世界各地の「不利な立場の人々」
第2章「二一世紀の貧困」では、世界全体では貧困の削減が進んでいるものの、世界各地に不利な立場の人々がカテゴリーごとに存在する実態を描き出す。
第3章「より豊かになるために」は経済成長がテーマ。経済学の成長理論を参照しながら、経済成長とイノベーションが起きるメカニズムを明らかにしている。低所得国における携帯電話の役割、途上国で生まれた医療技術(経口補水塩療法、抗マラリア薬)、途上国向け感染症ワクチン開発促進策(AMC)など実例も豊富だ。
第4章「国際社会と開発途上国」では、政府開発援助や中国のプレゼンスの拡大の問題を取り上げている。同章の後半では、国際連合(国連)の持続可能な開発目標(SDGs)を俎上(そじょう)に載せる。
SDGsがもたらした弊害
SDGsの社会への浸透とは裏腹に「SDGsの国際開発離れ」が進行していると山形氏は懸念する。SDGsはミレニアム開発目標(MDGs)を継承した国際目標であり、「貧困削減」に的を絞っていたMDGsに「環境保護」という目標を増補・統合することが趣旨だった。
MDGs、SDGsともに世界各国が国連に進捗状況を報告し、国連が全体の状況を把握して進行を促進する仕組みだ。MDGsでは、途上国が自国の達成状況を報告し、先進国が途上国支援の達成状況を報告する体制だったのに対し、SDGsでは、すべての国が自国の達成状況のみを報告する体制となった。
その結果、先進国による途上国支援の義務付けが実態上弱まり、環境保護や自国の開発の側面が強まったと批判。「先進国の経済社会変革が、開発途上国の人々を益する」というトリクル・ダウン仮説が無意識のうちに信奉されていると警鐘を鳴らしている。
仮にSDGsの後継となる国際目標が設定されるなら、目標数を減らし、焦点を絞ることによって、精選された目標すべての達成に取り組む仕組みにすべきだと提唱する。
最近の日本政府が開発協力において「国益」を重視する姿勢を強めている点にも言及している。山形氏は過去30年あまりの職業人生を通じて出会った人々の中で、国際開発の分野に何らかのやりがいを求めて飛び込んだ人たちの多くが同じ人間としての共感や道義的責任を元々の動機としていたと述懐する。国際協力に携わる人々に、公的な立場を離れて私的な発言が許される場面では「個人の国際協力への思いを率直に発言してほしい」と呼びかけている。
過去20年の間に、世界全体で見ると貧困層は大きく減ったものの、今もなお貧困や飢餓に襲われる人や地域は後を絶たず、「不利な立場に置かれた人々」が世界中で暮らしている。
世界の貧困問題を「自分ごと」として受け止め、地道に活動してきた開発経済学者たちの声は、「自国民ファースト」や「自国中心主義」を唱える政党が躍進する先進国の人々に届くだろうか。
写真/スタジオキャスパー



