デジタルトランスフォーメーション(DX)は、顧客中心主義が生命線です。しかし、アマゾン・ドット・コム創業者のジェフ・ベゾス氏が指摘するように、人間の欲望はエンドレスで先鋭化していくものであり、そのため人間の欲望を満たそうとする顧客中心主義には果てがありません。では、DXで勝利するために大切なことは何でしょうか。DXの勝者はこれから何処(いずこ)を目指すのでしょうか。米国のテスラ、アップル、セールスフォース・ドットコム、ウォルマート、マイクロソフト、ペロトン・インタラクティブ、アマゾン、シンガポールのDBS銀行という注目8社のグランドデザインを解説した『 世界最先端8社の大戦略 「デジタル×グリーン×エクイティ」の時代 』(田中道昭著、日経BP)の一部を抜粋・再構成して、戦略的思考法を解説します。第1回はDBS銀行を題材に。

「もしジェフ・ベゾスが自分の会社の社長だったら何をするか?」

 私は数年前から「デジタルシフトアカデミー」(主催:デジタルホールディングス)にて、「大胆なデジタルシフト戦略策定ワークショップ」と題した講義をしています。同ワークショップの受講生は、各業界において日本を代表する企業のトップ層や最高デジタル責任者候補などのリーダー格が中心です。

 講義のタイトルを「大胆な〜」としたことには、私の意図があります。それは「大胆なビジョン」を掲げることこそが、GAFAに代表される最先端のテクノロジー企業のビジネスのやり方だからです。大胆なビジョンとはすなわち、自分たちの事業を通じてどんな社会を実現するか、どんな社会課題を解決するのか、どんな価値を顧客に提供するのか、などです。

 デジタルシフト戦略を立案する上でも、まずは「大胆なビジョン」を掲げることが不可欠です。しかし、それは口で言うほど簡単なことではありません。意識的・無意識的に自分が所属する会社の制約条件にとらわれてしまい、例えば「事業規模が小さいから」「経営者の理解がないから」等々のメンタルブロックが働くことで、ビジョンが小さくまとまってしまうのです。

 そのため私は、講義の初回で次のように考えてみることをおすすめしています。

 「もし、アマゾンのジェフ・ベゾスが自分の会社の社長だったら、どんなデジタルシフト戦略を考えるだろうか?」

 いかにも荒唐無稽な問いかけであることは、私も承知の上です。しかしこれこそ、自分がとらわれているメンタルブロックを解除するための工夫です。自分がベゾスになったつもりで、自分の会社を大胆に見直すのです。

 私の考えでは、ベゾスのこだわりは次の3点に集約されています。

(1)「地球上で最も顧客中心主義の会社」というミッションと、それと表裏一体になっているカスタマーエクスペリエンスへのこだわり
(2)低価格、豊富な品ぞろえ、迅速な配達へのこだわり
(3)大胆なビジョン×高速のPDCAへのこだわり

 私はこれを「ベゾス思考」と呼んでいます。

規模は数分の一だが収益性や時価総額はメガバンクを超える

 このベゾス思考によってDXを推進し、「世界一のデジタル銀行」と呼ばれるまでの大変身を遂げた銀行があります。シンガポールのDBS銀行です。

 シンガポール政府系の開発銀行として設立されたDBS銀行は、東南アジア最大の事業規模を誇る商業銀行であり、リテールバンキングやコーポレートバンキング、プライベートバンキング、証券仲介、保険など金融サービス全般を主事業とします。

 事業規模だけ見るなら、総資産、従業員数などは米欧日のグローバル金融機関には遠く及びません。DBS銀行の「強さ」は、米銀や日本のメガバンクと財務内容を比べたときに明らかとなります。以下のグラフは、DBS銀行の持ち株会社DBS Group Holdings Ltd.と米欧日の名だたる8行――JPモルガン・チェース、バンク・オブ・アメリカ、CITI、ゴールドマン・サックス、HSBC、三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)、SMBCグループ、みずほフィナンシャルグループ(FG)の比較です。

(出典:『世界最先端8社の大戦略 「デジタル×グリーン×エクイティ」の時代』199、201ページ)
(出典:『世界最先端8社の大戦略 「デジタル×グリーン×エクイティ」の時代』199、201ページ)

 このようにDBS銀行は、事業規模は小さいながらも、収益性や資本効率などを示す指標ではトップクラスの高い競争力を誇ります。時価総額を見ても、みずほFGやSMBCグループを上回りました。そんなDBS銀行の強さの秘密が、ほかならぬDXです。

 金融専門情報誌『ユーロマネー』はDBS銀行に対して、「ワールド・ベスト・デジタルバンク」の称号を2016年と18年に、そして19年にはデジタルの枠を超えて「ワールド・ベストバンク」、20年には「アジア・ベスト・バンク・2020」の称号を与えています。

 『ユーロマネー』の「ワールド・ベストバンク・2019」を受賞した際、ピユシュ・グプタ最高経営責任者(CEO)は、次のようなコメントを残しています。

 「私たちは『ほかの銀行が何をするのか?』という考え方から離れなければなりませんでした。代わって、私たちが考え始めたのは『メガテック企業は何をするのか?』ということでした」

アリババやテンセントと戦うために「自らを破壊」

 DBS銀行のDXがスタートしたのは09年のこと。当時のDBS銀行は決して悪い経営状況にはありませんでした。むしろ、売上高の年平均伸び率は7%以上、当期純利益の平均伸び率は13%と、好調を維持していたのです。それにもかかわらずDBS銀行の経営陣は「自らを破壊しなければ生き残れない」との危機感をつのらせていました。

 その背景には、1つはシンガポールという国を取り巻く地政学的な要因があります。東京23区と同程度の国土面積しか持たず、天然資源にも恵まれないシンガポールが、1人当たりの国内総生産(GDP)で日米を上回るほどの目覚ましい経済発展を遂げたのは「貿易立国」政策のため。シンガポールという国は「海外に打って出なければ生き残れない国」であるとも言えます。

 そのためシンガポールは宿命的に、外国市場の動向やテクノロジーのトレンドに対してセンシティブかつ柔軟にならざるを得ません。

 そしてDBS銀行にとり直接的な脅威となったのは、中国に出現した強力な「金融ディスラプター」たちです。具体的には「アリペイ」のアリババであり、「ウィーチャットペイ」のテンセントです。そんな金融ディスラプター2社がターゲットとする市場が、DBS銀行がターゲットとする市場(中国、香港、シンガポール、中華圏)とバッティングするのです。

 この目の前に差し迫る強敵に対し、DBS銀行が抱いた危機感はいかばかりか。こうしてDBS銀行は「DXしなければ死あるのみ」とばかりに、自らもテクノロジー企業となるべく、DXに着手したのです。グプタCEOとデビット・グレッドヒル最高情報責任者(CIO)が牽引(けんいん)役です。

 彼ら経営陣は、印象的な3つの標語を掲げました。

「会社の芯までデジタルに」
「自らをカスタマージャーニーに組み入れる」
「従業員2万2000人をスタートアップに変革する」

 「会社の芯までデジタルに」とは、オンラインサービスやモバイルサービスを提供するといったフロントエンドの表面的なデジタル化にとどまらず、バックエンドの業務アプリケーション、ソフトウエア、ミドルウエア、ハードウエアやインフラのレベルまで、さらには経営陣・従業員のマインドセットや企業文化まで、組織のすべてを例外なく見直すことを意味しています。

 「自らをカスタマージャーニーに組み入れる」は、銀行としての自身の存在意義を問い直す中で、次世代金融産業において目指すべきプレーヤー像を示したものです。すなわち、預金、貸出、為替といった「銀行目線」のトランザクションジャーニーから、ユーザー1人ひとりのライフスタイル、生活パターン、ニーズに寄り添う「顧客目線」のカスタマージャーニーへの転換です。

 DBS銀行は「簡単、シームレス、目に見えない(simple,seamless,and invisible)」というコンセプトを提示していますが、これも顧客目線です。カスタマージャーニーにおいてシンプルかつシームレスなサービスを期待する顧客に対し、銀行が存在感を示す必然はどこにもありません。顧客満足を追求するため、DBS銀行は「目に見えない(invisible)」存在になろうというのです。

 「従業員2万2000人をスタートアップに変革する」とは、いわばマインドセットの転換です。つまり、銀行目線のトランザクションジャーニーから顧客目線のカスタマージャーニーを重視するマインドへ。そのために社内にハッカソンなど学びの機会を用意したり、スタートアップと協業したりと、新たなマインドを養成する取り組みに着手しました。

ガンダルフ・トランスフォーメーション

 「メガテック企業なら何をするか?」「もしジェフ・ベゾスが銀行をやるなら何をするか?」。そういう問いかけからスタートした自らのDXを、DBS銀行は「ガンダルフ・トランスフォーメーション」と呼び習わしています。

 ガンダルフ(GANDALF)とは、グーグル、アマゾン、ネットフリックス、アップル、リンクトイン、フェイスブックといったメガテック企業の頭文字にDBS銀行の頭文字Dを加えたものです。DBS銀行がこれらメガテック企業と肩を並べる存在になる、との決意の表れであることは、言うまでもありません。そして各社から次のような特質を学ぼうとしたのです。

G:グーグルのオープンソースソフトウエア志向
A:アマゾンのAWS上でのクラウド運用
N:ネットフリックスのデータを利用したパーソナル・レコメンデーション
D:DBSが「ガンダルフ」の“D”になる!
A:アップルのデザイン思考
L:リンクトインの「学ぶコミュニティーであり続ける」こと
F:フェイスブックの「世界中の人々への広がりを持つ」こと

 ちなみにガンダルフとは、映画「ロード・オブ・ザ・リング」に登場する魔法使いの名でもあります。「魔法のような力で銀行からテクノロジー企業へと刷新する」。そんな想いが込められているのかもしれません。

日経ビジネス電子版 2021年6月18日付の記事を転載]

これが新しい未来図だ!

 DXの勝者となった企業が次に目指すのは、「グリーン=脱炭素」と「エクイティ=公平・公正」の実現――。テスラ、アップル、セールスフォース、ウォルマート、マイクロソフト、ペロトン、アマゾン、DBS銀行という注目8社を取り上げ、その強さの理由と未来へのグランドデザインを解説。著者の田中道昭氏が講師を務めて、日本を代表する45社以上が導入したセミナー「DX白熱教室」も収録しています。

田中道昭(著)、日経BP、1910円(税込み)