その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は太田泰彦さんの『 2030 半導体の地政学[増補版] 戦略物資を支配するのは誰か 』です。
【はじめに】──キャンプデービッドの精神
「きょう私たちは歴史をつくりました」
2023年8月18日、ワシントン近郊──。森のなかにたたずむ山荘「キャンプデービッド」で、第46代の米国大統領ジョー・バイデンは誇らしげに語った。
バイデンの両脇に、日本の首相、岸田文雄と、韓国大統領の尹錫悦(ユン・ソンニョル)が並び立つ。日米韓の3カ国だけで集まる首脳会談は初めてのことだ。バイデンの言葉は正しい。歴史的な一幕である。
だが、大きな仕事をやり遂げたというのに、3人は記者団に笑顔を振りまく様子もない。硬い表情の裏にあるものは何か。それは、いまや軍事的脅威となった中国と決然と向き合う意志。そして恐怖感ではなかったか。
バイデンに続いて岸田が語る。
「法の支配にもとづく自由で開かれた国際秩序が危機に瀕しています」
さらに尹大統領が落ち着いた口調でさらりと言った。
「共通の利益を脅かす緊急な懸案が発生した場合、迅速に協議して対応するチャンネルを立ち上げます」
新たな「チャンネル」が意味するものは、3カ国の軍事的なホットラインにほかならない。これから先は、ミサイルや攻撃、艦船の動きの警戒情報を共有する。米―日、米―韓と2国間で結んだ軍事同盟で築かれてきた東アジアの安保体制を、線から面へと進化させる宣言だった。
共同声明「キャンプデービッドの精神」に書かれたのは、軍事の安全保障だけではなかった。もう一つの隠れたキーワードは「グローバル・サプライチェーン」。重要な物資の取引がいまの状態のままでは、米日韓にとり死活的な急所になるという危機感である。文書には3カ国が力を合わせて死守すべき戦略的な技術として半導体が明記されていた。
3カ月後の11月14日──。サンフランシスコで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)のタイミングに合わせて、日米両国の政府は外務・経済閣僚会議(経済版2+2)を設けた。ここでも合意の中心に据えられたのは、戦略物資、半導体のサプライチェーンである。経産相の西村康稔、米国務長官アントニー・ブリンケンら4人は、半導体の供給力、調達力を強くする政策での協調を誓い合った。
産業としてはライバルかもしれないが、通商政策では手を結ぶ。結束に隙があれば、中国に突かれてしまうからだ。国際競争でお互いに不利にならないためにも、補助金や優遇税制で意見をすり合わせておく必要がある。困ったときでも半導体の独り占めはやめよう、という約束である。
その2日後。同じ場所で開かれたインド太平洋経済枠組み(IPEF)の閣僚会議も熱気を帯びていた。こちらにはインド、インドネシア、オーストラリア、シンガポールなども加わった。重要な議題の一つは、再び半導体や希少な素材をめぐるサプライチェーンだった。
IPEFはバイデン政権が呼びかけた協力の枠組みである。太平洋を取り囲む国々だけでなく、西のインドまでを含む14カ国で巨大な経済圏を築く。中国は招かれていない。
その中国の習近平国家主席は、バイデンと会うためサンフランシスコに到着していた。1年ぶりの米中首脳会談である。米国が招集した国々は、同じ地にいる習の目と鼻の先で結束を誇示してみせたことになる。
4時間にわたる会談のなかで、習は米国による半導体の輸出規制に苦言を呈したという。バイデンは会談の後に、習を「独裁者」と呼んだ。
半導体が持つ戦略的な重みは増すばかりだ。本書の初版が出版された2021年の秋以降、世界情勢は急展開を続けた。ロシアがウクライナに侵攻し、イスラエルとハマスの軍事衝突が起きた。台湾海峡の緊張も高まっている。
これは第三次世界大戦の始まりではないか──。そんな不安が、人々の口から現実味を持って語られている。21世紀に起きるとは誰も想像していなかった恐ろしい出来事が、いま連続して私たちの目の前に立ち現れている。その暗い影のなかに半導体がある。
米政府は台湾、韓国の半導体メーカーの誘致を加速した。欧州連合(EU)でも域内での半導体生産をテコ入れする動きが強まっている。有事に備えた半導体の囲い込みである。日増しにきな臭くなる空気のなかで、米欧は半導体の自給自足に向って走り出している。
日本の動きも激しい。熊本では台湾積体電路製造(TSMC)の工場建設が驚異的なスピードで進み、台湾から100人単位でエンジニアが熊本に流れ込んでいる。
未来のチップの国産化を目指して、新会社のラピダス(Rapidus)が2022年11月に設立され、そのわずか3カ月後には北海道の千歳で突貫工事が始まった。北海道の隅々から土木、建築の作業員をかき集めたため、他の地方の公共事業が止まってしまうほどだった。
急がねばならない。国を守るために国内で半導体をつくらなければならない──。世界各国がエゴをむき出しにして、有力企業を手中に収めようとしている。しかし、ただ競うだけでは、技術と人材の取り合いになり、共倒れになってしまう。だからこそ日米韓の視線は有志国の政策協調に移りつつある。
半導体は世界の裂け目を広げる鉈(なた)になる。各国を束ねる要石にもなる。国際情勢はこれからも目まぐるしく変化し、技術の開発競争も激しさを増すだろう。
米中対立の行方、各国の半導体産業が向かう先に、いったい何があるのか。近未来の世界の姿を思い描くためには、いま起きている個々の事象の裏に潜む国際政治のうごめきを透視しなければならない。
この増補版では、各章の構成を変えず、2023年末に至るまでの各国政府の政策、企業戦略の展開を踏まえて大幅に加筆、修正した。不透明さを増す世界地図の解像度を高めるのが、本書の狙いである。
2024年1月 太田泰彦
【目次】



