その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はエミリー・ワインスタイン、キャリー・ジェームズ(著)、豊福晋平(訳)の『 スマホの中の子どもたち デジタル社会で生き抜くために大人ができること 』です。
【はじめに】
私たちは何を見逃しているのか?
それがなぜ重要なのか?
この絵は一見すると、ひげを生やした男性のように見えます。この男性が画家のヴィンセント・ヴァン・ゴッホであると気づく人もいるかもしれません。しかし、視点を少し変えてみると、ヴィンセントの鼻は野原に座る人物として描かれていて、耳は広いつばの帽子をかぶったドレス姿の女子に、眉毛は遠くの建物の屋根に見えます。
では、この絵はティーンエイジャーとソーシャルメディアに、どのような関係があるのでしょう? 簡単に言えば「表面に見える以上の情報や要素が隠されている」のです。
本書の著者である私たちエミリーとキャリーは、ティーンエイジャーのデジタル生活の研究を続けています。ハーバード大学のプロジェクト・ゼロ(Project Zero)に所属する研究チームとして、大人が見落としがちな側面に触れる、貴重な機会を数多く得てきました。研究を通じて、ティーンエイジャーとソーシャルメディアには、「表面的な印象を超えた、より複雑な現実」があることが分かっています。最新の研究では、大人たちが抱く一般的な思い込みと、ティーンエイジャーの現実との間に、驚くほど大きなギャップの存在が浮き彫りになりました。その例をいくつか挙げましょう。
デジタル余命(digital afterlife)*1
大人は、デジタルでの行動が将来どのように自分たちに影響を及ぼすかにティーンエイジャーが無関心だと思いがちです。そのため、「投稿は永遠に残る」「デジタル足跡は消えない」といった警告を繰り返します。しかし、ティーンエイジャーがデジタル上で失敗する理由は、それだけではありません。また、投稿がティーンエイジャー本人の管理下にない場合も珍しくありません。デジタル記録やコンテンツ共有は絶え間なく行われており、他者が本人の許可なくコンテンツをアップロードしたり、タグづけしたりも珍しくありません。
デジタル習慣(digital habits)
大人は、ティーンエイジャーが「中毒」だから携帯電話を手放したり通知をオフにしたりを嫌う、と考えがちです。しかし、実際にはデジタルデバイスの仕組みが継続的な使用を促しています。また、ティーンエイジャーの発達段階に特有の脆弱性が、大人が想像する以上にその影響を増幅させているのです。加えて、ティーンエイジャーは、友情が危機に瀕する状況を語っています。接続を絶ってしまうと、社会的に孤立していると受け取られたり、失礼だと思われる可能性があります。さらに深刻なのは、悩んでいる友人の相談に乗れないとみなされることかもしれません。こうしたプレッシャーは、保護者の「携帯電話をやめなさい」というメッセージと絶えず矛盾するのです。
デジタル・アクティビズム(digital activism)
大人たちは、ティーンエイジャーが市民問題についてオンラインで意見表明して逆風にさらされるのではないかと懸念しますが、彼らが「沈黙を守るのも同じくらい危険だ」というプレッシャーを感じている点には気づいていません。「デジタル・アクティビズムなんて浅薄で安易なもの」とみなす大人もいますが、ティーンエイジャーにとっては、自分たちが関心を持つ課題や、それに関連する社会的地位や評判のリスクがきわめて重要な意味を持っています。たとえば、反人種差別運動のブラック・ライブス・マターは、ソーシャルメディア上で市民として意見表明する強力な機会をもたらしましたが、投稿へのプレッシャーやパフォーマティブな[見せかけの、ポーズだけの]行動への懸念、誤投稿が招いてしまう厳しい社会的結果も生みました。
デジタル利点(digital upsides)
大人は、スクリーンタイム[デバイスの画面を見ている時間]が健全な人間関係やその他の「有意義な」活動を追求する機会を損なうと考えています。たしかに、そうなる場合もあります。 しかし、「スクリーンタイムは無駄な時間」という考え方は、ポジティブな側面を見出す妨げとなります。Minecraft=マインクラフト[ブロックを使って自由に建築や冒険ができる世界的に人気のサンドボックスゲーム]やFortnite=フォートナイト[最大100 人が参加できるバトルロイヤル形式のオンラインゲーム]といったオンラインゲームは、ティーンエイジャーにとって必要不可欠な社会的つながりや遊びの場を提供しています。お薦めの本を教えてもらったり、お気に入りのシリーズの話題を語り合ったりするTikTok=ティックトック[短尺動画の作成・共有に特化したソーシャルメディアプラットフォーム]のサブコミュニティ「BookTok=ブックトック」[日本での「読書垢」に近い概念]のように、アプリは興味を深めるために活用されています。Zoom=ズーム、Facetime=フェイスタイム、さらにはDiscord=ディスコード[主にゲーマー向けに開発されたビデオ・音声・テキストチャットプラットフォーム]といったプラットフォームは、宿題や学習支援の場として活かされています。ほかにも大人が見逃している例はたくさんあります。
大人(私たち自身を含めて)が見落とすのには、それなりの理由があります。私たちが育った環境とは大きく異なる現代社会で生きる若者たちを見守っているのです。彼らの現在のウェルビーイング[身体的・精神的・社会的に良好な状態]と将来を守ろうと、私たちは本能的に両者のバランスを取ろうとしています*2。
若者たちの声から見える世界
ティーンエイジャーとソーシャルメディアを研究する社会学者として、私たちは10年間、次のような疑問に対する答えを追い求めてきました。現代の若者たちは、ソーシャルメディアやスマートフォンをどのように使いながら成長しているのでしょうか? これらのテクノロジーは、彼らの社会的、情緒的、道徳的、市民的な発達にどのような影響を及ぼしているのでしょうか? ティーンエイジャーはスマートフォンで何をしていて、スクリーンに映るものをどのように見ているのでしょうか?
私たちは、これらの問いを真剣に掘り下げ、あらゆる回答を受け容れる姿勢で臨んでいます。良いもの、悪いもの、複雑で入り組んだものなどです。結果は予想通りであったり、まったく新しく驚くべき発見であったりします。本書は、新たな発見や想定外の知見の集大成です。これから始まるページには、私たち大人を立ち止まらせ、暗黙のうちに抱いていたティーンエイジャーとテクノロジーについての思い込みに再考を迫るようなデータや物語が満載です。
各章では、ここ数年取り組んできたデジタルジレンマ・プロジェクト[ハーバード大学教育大学院のプロジェクト・ゼロが主導するプロジェクト。デジタル時代の倫理的課題を探究し、教育者や学習者向けの学習リソースと戦略の提供を目的としている]の成果を紹介します。このプロジェクトは、当初の予定を大幅に変更しながら、数年にわたって続けられてきました。2021年初頭までに、私たちは調査、インタビュー、フォーカスグループ、観察といった方法で収集した豊富なデータを蓄積しました。
少し背景を説明すると、このプロジェクトは2017年に始まりました。当時、私たちは長年の協力者であるコモンセンス・メディア[Common Sense Media、家族や学校向けのメディア・アドバイスを提供する米国非営利団体のリーダー的存在]と協働する機会がありました。私たちのチームは、教室での新しい授業を通じて、デジタル・シティズンシップ[デジタル技術の利用を通じて社会に積極的に関与し参加する能力]・カリキュラムを刷新する準備を進めていました。私たちは、教師や特にティーンエイジャーにとって、最も重要かつ切迫した問題に焦点を当てたいと考えました。
まずは大規模なアンケート調査を実施しました。教育者と生徒の両方を対象に、オンラインでの永続的な投稿、つながりっぱなしのプレッシャー、市民間の緊張など、時事的なデジタル関連のトピックを質問しました。私たちはその回答に驚きました。開始からわずか数か月で、約1000人の教育者と3500人以上の中高生から回答が得られたのです。回答者のサンプルは多様性に富んでおり、さまざまな人種・民族的背景を持つ生徒が、米国の10州にわたる学校から参加しました。年齢は9歳から19歳までと幅広かったのですが、大半は12歳から18歳でした(調査参加者の詳細は、巻末を参照してください)。
特に目を惹いたのは、ある質問への回答でした。「今日のデジタル社会で最も心配なことは何ですか?」私たちは、デジタル生活そのものが問題を引き起こすと考えたわけではありません。むしろ、関連性の高い教育リソースを設計するために、若者たちの実際の心配事を正確に把握することを目的としていたのです。
まず、回答者にこの質問を投げかけ、10の選択肢から回答を選んでもらいました。選択肢には、スクリーンタイム、ネットいじめ、デジタルのいざこざ、不適切画像の共有など、多岐にわたる問題が含まれていました。また、回答者が自分の一番の心配事を説明する自由記述式の回答も求めました*3。
私たちの注意を惹いたのは、その記述でした。回答の文章は比較的短く、通常1~2文、多くても数語程度でしたが、非常に説得力があり、その膨大な回答数が強い印象を与えます。何千もの生々しく直接的な不安が「若者たちの言葉を通じて」語られているのです。
そうした不安とは、次のようなものです。
◆ デジタル足跡( digital footprint)
若いころの投稿が、あとになって後悔する内容だったとしても、もう手遅れだよね。特にその投稿がデリケートな情報を含んでたら最悪。誰かがすでに保存していて、自分ではもう削除できないんだ。(13歳)
◆ プライバシーのリスク
誰でも僕の情報を手に入れられるって知ると最悪だよ。それに、毎年どんどんそういうのが簡単になってるし。(14歳)
◆ デジタルのいざこざ(digital drama)とネットいじめ(cyberbullying)
いつ意地悪なコメントが来るか分からないんだ。(18歳)
◆ 過剰なスクリーンタイム
子ども時代は一度きりなのに、知らない間に無意味なゲームとかでそれを台無しにしちゃいそうで怖いよ。(14歳)
◆ つながり続けることへのプレッシャー
スマホはあんまり使いすぎたくないんだけど、人を無視してるみたいに思われたくもないんだよね。(15歳)
私たちは、このような悩み(合計3529件)を系統的につぶさに調べました。重要な洞察を得るために、全データセットを繰り返し精査し、複数の分析方法を適用しました。これまではティーンエイジャーの悩みや経験の理解が不十分だと感じていたので、より深く本質的な把握を目指しました。これは、新たに見直された介入策、政策、支援の基盤として、欠かせないデータになると確信しています。
この質問の調査設計上の限界は十分に認識しています。人々に選択肢を提示して選んでもらうと、回答者が考慮する範囲を狭めてしまうかもしれません。最も心配していることをひとつだけ選んでください(「あなたが最も心配していることは……」)」という選択肢を設ければ、回答は、特定のトピックに最も懸念している人々の視点のみを捉えます。これは重要な条件です。
たとえば、「ティーンエイジャーのXX%が心配している」という主張は適切ではありません。一定の割合が心配していないから、それが彼らの最大の関心事ではないから、という理由で、そのトピックは心配事ではない、と結論づけるのも正しくありません。本書の調査や事例は、私たちの研究活動の多くが米国で行われているため、米国中心(特に政治など)になりがちです。世界的な傾向に言及できる範囲は限られます。
でも、それでも言えることはたくさんあります。このデータは、スクリーンの向こう側で見落とされがちなティーンエイジャーの現実を明らかにし、さまざまな課題や疑問を考えるための視点を提供します。
若者の声を軸に据える
当然ながら、私たち大人は若者ではありません。これは大切なポイントです。なぜなら、本書では、今日のデジタル社会で成長する若者たちの「経験」を幅広く書いていますが、Instagram=インスタグラム[写真や短い動画を共有するソーシャルメディアプラットフォーム]やSnapchat=スナップチャット[写真や短い動画が一定時間後に自動的に消える機能を持つメッセージングアプリ]の時代に成人した「経験」をもとにした記述はできないからです*4。
現在50代のキャリーの場合、携帯電話(特に折りたたみ式携帯電話)が普及し始めたのは彼女が30代の頃でした。2005年に最初の子どもを授かりました(当時はFacebookの誕生から1年しか経っていませんでした)。そして、赤ちゃんの写真をブログで祖父母と共有していました。現在、キャリーには16歳と12歳の、テクノロジー好きの子どもが2人います。30代のエミリーは高校生のときにFacebookを使い始め、大学を卒業して間もなくInstagramに参加し、大学院ではSnapchatを使っていました。彼女の幼い子どもたちは(まだ)TikTokを使っていません。
若者の声を最優先にするため、調査結果をどのように解釈し、共有するかを慎重に検討しました。私たちは、思春期の若者の話を注意深く聞き取る訓練を受けています。彼らの言葉だけでなく、言葉にしない思いにも気づき、文脈を理解するよう努めています。それでも、自分たちの盲点を意識せざるを得ません。私たちは異なる世代の視点をつなぐ役割を果たしていますが、同時に、米国東海岸のエリート大学で職業人生の大半を過ごしてきた白人女性であり、研究者でもあるからです。
私たちのアプローチの鍵は、まず、多様な若者からデータを集め、それを分析の中心に据えた上で、若者たちと共同で解釈する点にありました。調査プロセス全体を通じてティーンエイジャーと協力し、私たちが「どこを誤解しているのか、また、見落としはないか」を検討し続けるためのチェック体制を強化しました。また、私たちはティーンエイジャーに繰り返し尋ねました。「大人に一番理解してほしいことは何ですか?」
私たちのアドバイザリーグループは、異なる生活環境や背景を持つ13歳から18歳までの22人のティーンエイジャーと3人の若者で構成されました。共同解釈者たちは、第一世代の米国人、クィア[性的マイノリティ]、アジア系米国人、黒人、ラテン系、白人、混血など、全米各地に住む若者たちであり、彼らの複合的なアイデンティティが調査に独自の視点をもたらしました。彼らは、公立学校、私立学校、ホームスクーリング[学校に通わず家庭で学習する教育方法]での経験に基づく洞察を提供しました。彼らはそれぞれ異なる家族構成や生活環境、興味やアイデンティティを持ち、テクノロジーの利点と危険性に対する見解も異なっています。
彼らの声は、この後のページで目立つように紹介されています。また、アンケートデータから得られたティーンエイジャーの声も紹介しています。若者たちの声を引用する際には、原文の表現を可能な限り忠実に再現し、コメントは先に示したように別のフォントで表記しています。また、デジタル生活に関する過去の調査で収集したティーンエイジャーの意見を引用している場合もあります。
過去10年間にわたって共同または個別に実施したプロジェクトを通じて、私たちの調査チームは、デジタル時代における成長のさまざまな側面を明らかにするために、275人を超えるティーンエイジャーにインタビューしました。 収集した物語も、ときには複数の事例を統合した形で、あるいは子細を変更し個人の身元を保護した形で紹介しています。合成または修正した物語を使用する場合は、妥当性確認のためティーンエイジャーによる検証(再検証)を行っています。
簡潔にするため、サンプル全体の若者を指す際には「ティーンエイジャー(あるいは10代の若者)」という用語を使用しています。また、中高生の経験の違いを明確に区別する必要がある場合は、より具体的な表現を使用しています。いずれの場合も、若者たちの名前はすべて仮名です。可能な限り、ティーンエイジャー自身に仮名を自ら選んでもらい、彼らが選んだ名前を使用しています。多くの場合、その名前は彼らが重要だと感じている文化的背景や価値観を反映しています。
ティーンエイジャーを対象とした調査以外にも、近年は家族や教育者と関わるコミュニティで、ティーンエイジャーとテクノロジーの機会や課題に関わる活動の機会が増えています。これらのデータは、大人がどのように捉え、どの部分を見逃しがちなのか、さらなる知見を提供しています。
本書の主な目的は、若者たちのデジタル生活の本音や視点を中心に据えることです。繰り返し強調しますが、この目的を達成するには、ティーンエイジャーを一様な存在として扱うのは適切ではありません。同様に、大人もまた多様であり、一括りにはできない点も重要です。
私たちの主張の補完として、現代の若者の支援を目的として子育てや教育に携わるさまざまな大人たちが直面する緊張関係を扱った研究が数多く発表されています。
その代表的な例として、 ソニア・リビングストンとアリシア・ブルーム=ロスの著書『デジタル時代のペアレンティング:テクノロジーへの期待と不安が子どもたちの生活を形作る(Parenting for a Digital Future: How Hopes and Fears about Technology Shape Children’s Lives)』[未邦訳]がその好例です。リビングストンとブルーム=ロスは、子どもを守るためにさまざまなデジタル・ペアレンティング戦略を試みる親たちの視点を緻密かつ共感的に描写しています*5。
こうしたアプローチは、リスクの多い現在から不確かな未来へと子どもたちを導こうとする保護者たちの希望と葛藤を浮き彫りにしています。重要なのは、デジタル・ペアレンティングのジレンマが、社会的格差に基づいて各家庭でどのように経験され対処されているかを、著者自身が明らかにしている点です。
私たちは「大人の思い込み」や「大人からのメッセージ」によく言及しますが、それは、ティーンエイジャーに対する大人の頻繁な忠告の背後にも複雑な事情があると認識しているからです。
私たちが目にする、あるいは見落とす「スクリーン越しのティーンエイジャー」
私(キャリー)がサウジアラビアのリヤドに赴き、協働の可能性を探った際、同僚たちと放課後のショッピングモールを訪れました。リヤドでは、世界中の多くの場所と同様、ショッピングモールはティーンエイジャーにとって人気スポットです。ただ、サウジアラビアでは未婚男女の接近は禁じられているため、異性との交流は不可能だったり、少し込み入ったやり方だったりします。また、女性や少女たちは、たいがいアバヤ(首から床までの長さのローブ)や顔以外を隠すスカーフの着用を義務付ける服装規定に従っています。
モールにいたティーンエイジャーたちは、規則を守って行動しているようでした。女子グループは、噴水を囲むように集まっていました。安全な距離(約4.5メートル)を置いて、男子グループがいました。グループ同士は、目に見えない境界線を守るように、適切な距離感を保っていました。
私は、このおなじみの光景が目にとまりました。ティーンエイジャーたちは友人と集まり、それぞれがスマートフォンを手にしていました。彼らは定期的にスクリーンを確認し、同性の友人とおしゃべりを楽しんだり、向かい側にいる同年代の相手をチラ見したり(ときにはそうと気づかれないように見たり)していたのです。
もしあなたが私の立場に立って、このショッピングモールでの光景を目にしたらどうでしょう。おそらくあなたはため息をついたり、「世界中の若者が手元のデバイスに集中しすぎて、目の前の人との関わりが希薄になっている」などと嘆いたりするかもしれません。
サウジアラビアの若い教育者数名が、別の視点と背景事情を共有してくれました。最近では、性別ごとに集まるティーンエイジャーたちは、一見異性のグループを見つめているように見えても、実は大人に気づかれないようにしながら、そのグループと「会話」しているそうです。彼らはBluetooth=ブルートゥースを使い、興味を持った近くの相手と接続します。その後、WhatsApp=ワッツアップやSnapchatを介して交流し、物理的な距離を保ちながら、顔や髪が「隠されていない」自撮りを交換したり、恋愛感情を育んだりします。
この逸話は、何度も繰り返し発見してきた原則を示しています。ティーンエイジャーとテクノロジーに関わる物語には、大人には見えにくい側面が数多く存在します。思い込みを一度脇に置き、新たに質問を投げかけ、耳を傾け、観察し直すことには大きな価値があります。
「覗き込むのではなく支えるために」スクリーンの向こう側を理解する
それから数年後、リヤドから何千キロも離れたテキサス州オースティンで、私(エミリー)は会議の場にて、同僚の許可を得てInstagramアカウントをスクロールする様子を見守っていました。私たちはインタビュー調査で、思考を言葉にするセッションをさまざまな形式で行います。たとえば、被験者にソーシャルメディアのアカウントを閲覧してもらい、その際に何を見ているのかを口頭で説明してもらいます。「今、何を見ていますか?」と問いかけますが、私たちもスクリーンを共有しているので、実際に何を見ているのかは正確に分かっています。「思いついたことをそのまま教えてください」と伝えます。
批判のないオープンな雰囲気では、人々は思ったことを自由に話し始めるものです。この場合、30歳の「ベン」の投稿一覧は、主に詩(彼は詩人でもあります)、少数の有名人、同年代と思われる人々の画像で埋め尽くされていました。もし、誰かがモニタリングアプリを使ったり、彼のパスワードをこっそり入力して遠隔でベンのInstagramを閲覧したとしたら、一見無害なソーシャルコンテンツとともに、彼の趣味や興味が映し出されたような、特に目立つところのない投稿一覧が見えるでしょう。
しかし、私たちは一緒に閲覧していたので、ベンが自分の投稿一覧で何を見ているのかをより正確に理解できました。ベンは、詩を「長すぎる」と感じたので、スクロールしてすぐにスクリーンから消してしまいました。ある有名人の写真をダブルタップすると期待を込めて意図的に「いいね!」を付けました。なぜなら、その有名人と最近会ったばかりで、彼女が自分の投稿に「いいね!」を返してくれるのを期待しているからだ、と言いました。特に目を惹いたのは、彼の投稿一覧が、過去付き合っていた女性やその友人たちの写真で溢れていたことでした。
ベンは不意にスクロールを止めて私の方を向きました。ベンと私たちは同時に気づきました。彼の何気ないスクロールが、過去の恋愛の失敗を繰り返し思い出させる原因となっていたのです。
本書のタイトルは、ティーンエイジャーのスクリーンの向こう側を垣間見ることを勧めています。しかし、はっきりさせておきたいのは、本書はティーンエイジャーを密かに覗き見ることを勧めているわけではありません。哲学的に言えば、理由もなくデジタル生活を詮索するのには、乗り気になれません。特に年長のティーンエイジャーはこれを、信頼を壊す重大なプライバシー侵害とみなします。より現実的に言えば、ベンの例は、もうひとつの原則を示しています。傍観者の目に映るものより、実際にはもっと多くの背景が存在するということです。観察者が大人で、アカウントの持ち主がティーンエイジャーである場合、このギャップはさらに大きくなります。
私たちの目的は、彼らがスクリーン上で何を見ているかを知るだけでなく、彼らと同じ目線で見ることでもあります。これにより、彼らの肩越しに覗き込むのではなく、彼らに寄り添い、支える存在として関われるのです*6。
デジタル時代の常識を問い直す
本書の各章では、思春期の若者にとって重要なのに、大人には誤解されがちな問題を取り上げます。社会的葛藤やオンライン政治など、予想がつきそうなトピックもありますが、ティーンエイジャーの経験は必ずしも大人の思惑通りではありません。
セクスティング[性的なテキストメッセージや写真を携帯電話で送信すること](第5章)のようなテーマでも、章全体を割いて取り上げています。セクスティングでは、ティーンエイジャーの行動から、一連の独特なプレッシャーや複雑さが示されています。たとえば、一種の保証として、ヌード画像を送る際、ほとんど見えないデジタル透かしとして受信者氏名を埋め込む「透かし入れ」行為が挙げられます。これにより、意図せぬ写真共有が起こった場合、送信者は誰が写真を流出させたか分かります。
第1章では、次のような挑発的なタイトルから始めます――「誤解されている『現実』」ティーンエイジャーとテクノロジーの世間一般の認識を形成するような扇情的な見出しが、私たち大人を迷わせます。この状況を変えるには、データに基づいた意図的な方向転換が必要です。
本書では「ティーンエイジャー」という言葉を用いますが、すでに述べたように、ティーンエイジャーは決して一様ではありません。彼らのアイデンティティや置かれた状況がデジタル体験を大きく左右します。また、今日のネットワーク技術の特徴も、デジタルなやりとりに重要な影響を与え、さらにその影響を増幅させています。そこで、私たちはティーンの悩みに目を向け、まずは「スクリーンがもたらす誘惑」から話を始めます。
第2章では、スクリーンタイムをめぐる議論を再検討し、デジタル習慣へのティーンの不安、葛藤、対策を詳しく掘り下げます。私たちの研究は、テクノロジーの利用を「大人とティーンの対立構図」と捉える考えに異議を唱え、むしろ双方が共有する本当の懸念に注目します。
ティーンエイジャーが抱えているのは、(デバイスへの)依存、対面でのつながりやその他の活動の阻害、そして(特に学業への集中の妨げとなる)注意散漫です。また、ソーシャルメディアのハイライトリール[人生の「いいとこ取り」投稿]や、社会的比較[social comparison:心理学者レオン・フェスティンガーが提唱した概念、個人が自己評価をする際に他者との比較を基準にする心理的プロセスのこと]に引き寄せられることにも悩んでいます。これらは、彼らが直面する課題の一部です。しかし、課題の一方で本当に輝かしい側面も共存しています。こうした新たな洞察は、スクリーンタイムだけに執着する一面的な見方の致命的な欠陥を浮き彫りにしています。
第3章では、つながりっぱなしのカルチャーを検証し、ティーンエイジャーの友情における複雑な力学に焦点を当てます。多くの大人は、ティーンエイジャーが友人や仲間との無限の接触を切望していると思い込んでいます。しかし、私たちの調査では、24時間365日、デジタルの世界で「良い友人」としてふるまうプレッシャーの中で、彼らがスクリーンの向こうでいかに大きな負担を感じているかが浮き彫りになりました。ティーンエイジャーは、ソーシャルメディアの注目を浴びながら友情を築く際の新たな期待や、グループチャットから「親しい友人」限定リストに至るまで、デジタル上で階層化されたオーディエンス[視聴者・観客。メディアリテラシーでは単なる受け手ではなく、メディアメッセージを解釈し、影響を受け、ときに能動的に関与する存在として捉える]に関連するストレスについて述べています。
第4章では、いざこざや社会的な対立のさまざまな側面を掘り下げます。まず、匿名で「タレこみ」や仲間内のゴシップを投稿するティーアカウント[tea accounts:tea は英語のスラングでゴシップを意味する]という、最近話題の現象を取り上げます。大人が通常、ネットいじめへの懸念を表明する一方で、ティーンエイジャーは、大人の監視の目をかいくぐる、より微妙なデジタル上の対立をどのように理解しているかを語ります。 ソーシャルメディアは、あからさまな「攻撃」だけでなく、隠れた「牽制」の場でもあります。いずれも、監視の目がある中で展開される可能性があります。
第5章では、セクスティングを取り上げます。私たちは次のように問いかけます。ティーンエイジャーがヌード画像を送ればリスクになると知っているのなら、なぜ彼らはそれを続けるのでしょうか? 私たちの調査は、ティーンエイジャーが単にリスクを認識していないという見方に異議を唱えています。むしろ、大人が普段気づかない動機やプレッシャーの存在を明らかにしています。実際には、すべてのセクスティングが同様に懸念されるわけではありません。私たちは、望んで行うセクスティング、プレッシャーを受けて行うセクスティング、許可なく共有されるセクスティングを区別しています。第5章ではまた、ティーンエイジャーがヌード写真を送信する9つの背景や理由を説明し、一方的な警告「セクスティングをするな!」では不十分な理由を明らかにします。
第6章では、今日の政治情勢に注目します。大人たちは、ソーシャルメディアの利用を浅はかで無意味だと批判する一方で、子どもたちが現実の問題にうまく対処できないのではないかと心配しています。今日のティーンエイジャーは、政治問題に関与せざるを得ないと感じています。それは、彼らが問題に関心を持っているからであり、また沈黙が友人関係に悪影響を与えるからでもあります。ソーシャルメディア上で仲間に投稿を見とがめられれば、政治的な発言が対人関係に影響し、友情が危機にさらされるかもしれません。デジタル市民社会の利点を認識しながらも、ティーンエイジャーはキャンセルカルチャー[社会的制裁としての排斥文化]、パフォーマティブ・アクティビズム[社会正義のためではなく自分を良く見せたいという願望から行われる活動主義]、エコーチェンバー[閉鎖的な情報空間で価値観の似た者同士が交流・共感し合うことで、特定の意見や思想が増幅する現象]がもたらす課題に直面しています。
第7章では、思春期のデジタル・アーティファクト[デジタル化によって生じた望ましくない結果、痕跡]が恒久的に残る可能性を含むプライバシーの問題に焦点を置いています。 オンラインでの不適切な行動と悲惨な結果を招いた有名な事例は数多くあります。大人たちは、ティーンエイジャーがこうしたリスクを認識していないか、あるいは単に気にしていないと思い込みがちです。その結果、「人生を台無しにする」といった厳しい結果を伝えるメッセージが増えたりします。しかし、私たちのデータは、こうしたメッセージが不十分であったり、逆効果になる可能性がある理由を明らかにしています。
ここでは、ティーンエイジャーが今後長期にわたって直面する可能性がある、意図しない投稿(誤投稿)のリスクについて彼らの見解を詳しく説明しています。また、ティーンエイジャーが本当に自分の足跡を管理できるのかという考えを複雑化させるため、ときにすべてのカードを握っている他の「共同構築者」を特定しています。そして、差し迫った「ソーシャル・キャンセル」という概念に立ち返って考察します。 発達、社会、個人の各側面における力学をより明確に理解すれば、大人たちが何を言って、何をすべきかを再考する必要性が生じます。
各章は、以下で紹介するような構成になっています。 関連するジレンマを提起するストーリーから始まり、ティーンの経験をさらに深く掘り下げていきます。 私たちの独自調査から若者の声を取り上げ、彼らの視点と他の調査の主要な見解を対話させるのです。さまざまな箇所で、一見新しい現象を心理学、コミュニケーション、神経科学、さらには進化生物学の分野における既存の知識と結びつけています。各章の締めくくりには、デジタル習慣や友人関係の悩み、セクスティングのプレッシャー、デジタルを通じた市民参加など、焦点を当てたトピックについて、「ティーンエイジャーが大人たちに伝えたいこと」の概要を記載しています。
結論に到達するまでに、現代のティーンエイジャーに対する新たな共感の感覚を私たちと共有してもらえるよう願っています。この共感を、ティーンエイジャーを真に支援する行動へとどう変えていけるでしょうか。結論では、前進への具体的なアプローチを提示します。デジタル時代における若者支援に関する私たちの共通の課題として、「エージェンシー[主体性・自己決定力を意味する概念で、学習者が自ら考え、選択し、行動する力を指す]論」という新たな視点を提示しています。私たちは、さまざまな役割を担う大人たち、すなわち、親、教育者、臨床医、技術デザイナー、政策立案者などに呼びかけます。
大人が決めつけるのではなく、まず問いかけをして、ティーンエイジャーが直面するデジタルジレンマを直接聴き取るのです。 大人が共感を示せば、ティーンエイジャーが何を考えているのか(あるいは何を見ているのか)をすぐに判断したいという衝動を抑えられます。これにより、何が難しいのか(あるいは素晴らしいのか)、その理由の詳細を把握できます。そうすれば、ティーンエイジャーへの迅速な支援、効果的な政策の立案、価値ある介入策の選定がしやすくなります。また、戒律よりも複雑性を重視する姿勢が、安直で失敗しやすい「解決策」に頼るのを防ぎます。
私たちが拠点としている研究センター、プロジェクト・ゼロは、深い思考と内省を促す、簡潔で理解しやすい思考ルーチン(thinking routines)[学習者が思考を深め、学習を可視化し、批判的・創造的な思考を促すための一連の問いや活動の枠組みのこと]を開発してきた長い歴史を持っています。「以前はこう考えていた。……今、私はこう考える……」は長年愛されている思考ルーチンで、研究結果を発表した後で、反応を求めるためにこのフレーズをよく使います*7。本書の締めくくりとして、ティーンエイジャーと大人の反応を紹介し、執筆を通じて私たちの視点がどのように変化したかを示します。10代の若者とスクリーンに関して、これまで確かだと信じてきた事柄は多くあるでしょう。そして、私たちと同じように、見落としていた点が少なくないと気づくはずです。
1. この説得力のある用語はエリザベス・ソープ(Elisabeth Soep)によるものです。The Digital Afterlife of Youth-Made Media: Implications for Media Literacy Education, Comunicar 19, no. 38(2012) : 93-100.
2. Sonia Livingstone and Alicia Blum-Ross, Parenting for a Digital Future: How Hopes and Fears about Technology Shape Children’s Lives( New York: Oxford University Press, 2020)[未邦訳].
3. 参加者はまず、注目すべきデジタル関連トピックの文献調査と事前フィールドワークに基づいて選択された10の選択肢(順序はランダム)から回答を選択しました。選択肢には、不適切画像の要求、ソーシャルメディアでの他人との比較、見知らぬ人とのやりとり、デジタルのいざこざやネットいじめ、デジタル足跡やオンライン投稿が永遠に残ること、つながりっぱなしを求められること、個人情報のリスク、不適切なコンテンツを目にすること、スクリーンタイムが長過ぎること、その他(具体的に)などを含みます。すべての参加者は、自由記述で説明が求められました(なぜ[回答]が最も心配なのですか?)。この選択肢のリストは当時としては比較的しっかりしたものでしたが、3年が経過した今、データ収集し直すとすれば、追加トピックがあり得るでしょう(たとえば、ソーシャルメディアにおける市民問題投稿、エコーチェンバー、フィルターバブルなど)。その後のデータ収集、特にインタビューやティーンエイジャー・アドバイザリーグループの議論により、本書の各章でより幅広い問題を取り上げることができました。
4. Catherine D’Ignazio and Lauren Klein, Data Feminism( Cambridge, MA: MIT Press, 2020), 5[未邦訳].
5. Livingstone and Blum-Ross, Parenting for a Digital Future. Lynn Schofield Clark, The Parent App: Understanding Families in the Digital Age( Oxford, UK: Oxford University Press, 2012)[未邦訳]による以前の民族誌的研究も参照してください。
6. この点については、若者のデジタル生活における大人の最適な役割について語る際に、このフレーズをよく使うメディア研究者ヘンリー・ジェンキンズ(Henry Jenkins)に敬意を表します。
7. “I Used to Think . . . Now I Think . . .” Thinking Routine, Project Zero, Harvard Graduate School of Education, accessed April 21, 2021, https://pz.harvard.edu/sites/default/files/I%20Used%20to%20Think%20-%20Now%20I%20Think_1.pdf.
【目次】





