その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はライオネル・バーバー(著)、村井浩紀(訳)の『 勝負師 孫正義の冒険(上)(下) 』。「日本語版への序文」をお届けします。

【日本語版への序文】

 なぜ孫正義の伝記を書くのか?
 多くの人が私に尋ねる。孫正義本人もだ。
 ソフトバンク創業者でソフトバンクグループの最高経営責任者(CEO)を務める孫正義に関する日本語の書籍は多い。だが、米欧の書き手によるものは、本書が初めてだ。
 本書は伝記だが、孫を褒めるわけでも貶(けな)すわけでもない。本書の目的は、「孫正義を理解する」ことだ。
 孫ほど謎めいていて、誤解されている人はいない。日本のメディアも米欧のメディアも、孫を夢想家、金融を巧みに操る人物、投機家として描き、何度も経済的に行き詰まり、破滅するリスクを取ってきた彼に疑いの目を向けてきた。
 孫の人生は、近年の金融史の重要な瞬間すべてを辿っているようである。映画「フォレスト・ガンプ」の主人公が、現代史の重要場面に足跡を残しているのと同じだ。孫はパーソナル・コンピューターの発売からインターネットの誕生、ドット・コム・ブームとその崩壊、中国の台頭、世界金融危機、人工知能(AI)時代の到来にまで立ち合い、おおむねその中心にいた。彼はキーパーソン全員と知り合いで、価値あるものをすべて所有していたか、少なくともその一部を買収しようとしていた。

 本書は孫正義の公認伝記ではない。
 ソフトバンクが私に執筆を依頼したわけでも、原稿をチェックして承認したわけでもない。だが、ソフトバンクは主要幹部や長年にわたって孫と親交のある人物、一緒に仕事をしてきた人たちとの面会を認めてくれるなど、惜しみなく協力してくれた。孫自身も、私との4回のインタビューに応じてくれた。
 現役経営者の詳しい伝記を書くために、どのような手法が一番よいか? これについては、プロの書き手の間でも意見が分かれる。孫正義の人生という映画は、まだ終わっていない。そのような制約の中で、一つの選択肢は従軍記者のような取材だろう。前線の部隊と行動を共にするように、書き手に直接的で広範なアクセスを認めてもらう。ウォルター・アイザックソンはこの手法の巨匠であり、1冊はスティーブ・ジョブズ、もう1冊はイーロン・マスクを題材に大作をものした。どちらも主人公の人となりについて比類なき洞察を提供している。
 私は意図的に異なる手法を選んだ。孫を追いかけ回すために日本に拠点を設け、数カ月過ごしたわけではない(新型コロナウイルス・パンデミックと孫自身のつかみどころのなさを考えれば、困難を極めただろう)。そうではなく、私は世界中で入手可能な情報源にできるだけ広範にあたり、それを利用することにした。情報源が最も豊富だったのはアメリカだった。私がフィナンシャル・タイムズ紙(FT)特派員として10年余り駐在し、2005年から2020年にかけてFTの編集長として定期的に訪問した場所だ。また、日本経済新聞社が2015年にFTを買収後、私はこの画期的なグローバル・メディア・パートナーシップを強固にするために日本を13回訪れた。
 私は3年間に及んだ取材で150人余りにインタビューした。そのうちの何人かは複数回の面会やメールでのやり取りに同意してくれた。その結果、孫の九州での少年時代や1970年代のカリフォルニア州での留学生時代にまで遡る、複雑なモザイク画が出来上がった。そうしてパズルのピースを組み立てていくうちに、孫正義の立体像が浮かび上がった。「本拠地」の日本で本人への取材に基づいて書き進めるよりも、はるかに興味深いものになった。

 孫正義には、日本の読者に馴染み深い二つの顔がある。
 一つ目は分裂したアイデンティティ、つまり鳥栖(とす)駅近くのバラック小屋が立ち並ぶ集落で、在日韓国人として生まれた若者の内なる葛藤である。孫の祖父母は朝鮮半島から日本に移住してきた在日1世で、孫の両親は日本で生まれた在日2世だ。彼らは「安本(やすもと)」という通名を使った。孫自身も「安本」と名乗ったが、アメリカ留学後に日本に帰国し、ソフトウエア卸売りを起業したときには通名を捨てていた。
 二つ目の顔はもっと知られている。日本で最も強力な消費者ブランドの一つであるソフトバンクを設立した「孫さん」である。世間を驚かす仕掛けをするプロデューサーにして、テクノロジーの先を読むことに長(た)けた男だ。40年余り、彼は業界秩序を激しく揺さぶる者として振る舞ってきた。彼は、かつて時価総額世界一だったNTT、そしてNTTドコモを相手に闘った。数多くのドット・コム企業に出資した彼は、ブロードバンドの開拓者、そして最も魅力的なブランドを持つ通信事業者となった。現代社会を一変させ、その過程でイーロン・マスクら強大な影響力を持つ富裕層を生み出すテクノロジーの波に乗って、目覚ましい成功を連発したのである。
 孫正義は良くも悪くもその波を増幅させた。1999年から2000年のドット・コム・バブルの期間中、彼はナスダック・ジャパンを設立しただけでなく、テック系のファンドを次々に立ち上げ、数百社の新興企業に投資し、注目に値する新規株式公開(IPO)をいくつも成し遂げた。しかし、10年以上後の次のテック・バブルで再び手を広げ過ぎてしまい、ソフトバンク・ビジョン・ファンドや、社内ヘッジファンドのSBノーススターをめぐる高リスクのオプション取引で数十億ドルの損失計上を迫られた。全体として孫のハイテクの進歩に対する生来の楽観主義は高く評価できるが、ときには市場のタイミングをひどく見誤った。

 だが、孫正義には、これまであまり表に出ていなかった三つ目の顔がある。おそらく日本の多くの読者の関心を最も引くだろうし、私も書き手として一番興味深かったものだ。孫はシリコンバレーという、今なお地球上で最も革新的な空間であり、莫大な富が築かれ、失われる場所で、一流投資家やテック企業創業者たちによく知られている。
 マサとして名前が通っている彼は、1980年代の早くからシリコンバレーで人脈づくりに取り組んできた。彼はまず、ビル・ゲイツ(マイクロソフト)、ラリー・エリソン(オラクル)、スティーブ・ジョブズ(アップル)らが集合するラスベガスを拠点とする展示会、コムデックスに定期的に参加した。そして、1995年4月にはコムデックスそのものを8億4200万ドルで手に入れた。高額な買収に思われたが、これによって彼は日本のビジネスマンたちが夢見るような特権的な地位をテクノロジーの世界で得た。彼は当時、世界で最も価値あるテック企業の一つだったシスコシステムズのアメリカ本社の社外取締役に就任し、その地位を強固なものにした。
 マサの特別な資質はアメリカとアジア、そして中国との架け橋として行動できたことにある。彼は自らをアメリカ企業と日本の大衆市場をつなぐ不可欠の仲介役と位置づけた。ビル・ゲイツは私に、マサはインサイダーであり、同時にアウトサイダーであると説明した。マサは英語を操る在日韓国人で(その後、日本に帰化した)、日本にいる米欧の人々に対する文化的な通訳者の役目を果たしている。また、マサは中国で最も重要な外国人投資家の1人であり、アリババが電子商取引の巨人になると賭けて合計1億ドルを投じ、大成功を収めた。
 赤字経営のスプリントの買収を軸にアメリカに通信帝国を築いたマサは、さらに一段上の勝負に出て、2017年に約1000億ドルを集めてソフトバンク・ビジョン・ファンドを創設した[ファンド組成の計画発表は2016年]。資金の大半は湾岸諸国、特に若き皇太子、ムハンマド・ビン・サルマンの治めるサウジアラビアが拠出した。これはシリコンバレーのベンチャーキャピタルの業界を混乱させる試みにほかならず、マサは鼻高々に目標を掲げたものの、結果は散々だった。

 近年、特に習近平が中国で、ドナルド・トランプがアメリカで権力を握って以降、マサの東西間のバランスを取る行動は、維持がますます難しくなっている。彼は国境のない金融とハイパー・グローバリゼーションの時代の恩恵を最も多く受けた1人だったが、世界が二つの陣営に分裂し、ワシントンと北京が中間にいる国々の忠誠を奪い合う中で、厄介な舵取りを強いられている。これは「デカップリング」や「デリスキング」で特徴づけられる世界であり、経済と国家安全保障が分離不可能なほどに結び付いている。
 この新しい環境でマサのようなグローバルな起業家たちはアメリカと中国の間で選択を求められている。彼は米欧に付くと決めた。それでもマサは警戒の対象となることがある。例えば、マサが計画したアームとエヌビディアの合併は規制当局に反対された。アームは先端的な半導体設計会社であり、エヌビディアはAI革命の中心を占めるビッグテックにAI半導体を供給し、時価総額が3兆ドル超という半導体の巨人だ。
 政治的影響力が重要な時代になった。マサが2024年12月、大統領への返り咲きを決めたドナルド・トランプと彼の邸宅マール・ア・ラーゴで面会し、共同で記者会見したのは、間違いなくこのためである。マサはトランプの2期目の任期末である2029年までに、1000億ドルをアメリカに投資し、少なくとも10万人の雇用を創出すると発表した。その8年前、彼がトランプ・タワーで誓った500億ドルの投資と5万人の雇用の2倍である。

 ソフトバンクの創業者は派手な演出を好むショーマンであり、ときには物事を誇張して語りがちで、ときには多くの人々が過大と見なすほどリスクを取り、無謀な賭けをしてしまう。その最たる例は、カリスマ的な創業者アダム・ニューマンが経営するオフィス賃貸事業ウィーワークへの投資だった。最終的に累計約140億ドル[約2兆1000億円]もの巨額損失をもたらし、世界最高の投資術を心得た男の1人というマサの評判に打撃を与えた。
 しかし、マサは立ち直った。彼の逆境でのレジリエンスには驚かされ続けている。彼の人生の物語は、あふれるほどの自信だけでなく、持ち前の創造性の賜物だった。マサはビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのように変革をもたらすテクノロジーを発明したわけではない。フェイスブック[メタ]のマーク・ザッカーバーグやアマゾンのジェフ・ベゾスのように新しいサービスを切り開いたわけでもない。しかし、彼はモバイル・インターネットやロボット工学の分野で、テクノロジーを新しい製品に適用してみせる優れた才能を発揮した。
 日本では、マサは他人が発明したテクノロジーを精力的に支援する役回りを演じている。ここ数年は「インターネット・オブ・シングス(IoT)」やAIの潮流のシンボルとなり、2011年に発生した福島第一原子力発電所の事故後には再生可能エネルギーを守り立てた。マサは日本における起業家精神をたゆまず擁護し、ベンチャーキャピタルとイノベーション全般の重要性を強調してきた。

 2023年10月、私は本書のための最後のインタビューでマサと会った。いつものように流暢(りゅうちょう)な英語で語るマサは、少々寂しげな様子だった。自分は人生でほとんど何も成し遂げていないと嘆いた。しかし、実際には今度もAIを利用して最高のカムバックを目論んでいた。その後の数カ月、マサは投資先を探して世界を駆け巡り、また、第5次産業革命の原動力となり、高収益が見込める先端的な半導体市場への進出を準備していた。
 これこそが英雄の本質である。貧しい出自のマサは、ファーストリテイリング創業者の柳井正と並ぶ、日本一の大富豪となった。同時に彼は、最も重要な投資家の1人となった。その過程で彼は何度か富を得たり、失ったりしてきた。孫正義は起業家の神話そのものであり、失敗を直視し、再起を果たす決意を持った、謎めいた天才である。
 その意味で孫正義のストーリーは、日本の読者に対してもう一度語られる価値がある。孫正義には、外から見えていない何かがまだあるのだ。


【目次】

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