その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は鶴原吉郎さんの『 ポストEVの競争軸 デジタルビークルの知られざる正体 』。「プロローグ」をお届けします。
【プロローグ】
EVからデジタルビークルへ
「米国でEV(電気自動車)の販売が鈍化──」「欧州でEVがHEV(ハイブリッド車)に抜かれた──」。2023年の終わりから2024年の初めにかけて、EVの販売鈍化を伝えるニュースが相次いだ。実際、それを裏付けるデータには事欠かない。
◎ 欧州ではEVの販売台数が、2023年12月に、2020年以来初めて前年同月比約マイナス17%になった。ドイツのEV補助金打ち切りで12月にマイナス47.6%になったのが大きく影響した。同じ月にHEVは26%のプラスだった。欧州のEV販売シェアは、2024年の第1四半期も前年比で横ばいにとどまる。
◎ 米国では2023年4-6月にEV販売の前年比の伸び率が約15%だったのに対し、7-9月は約5%、10-12月には約1.5%と、年末に近づくにつれて伸び率が縮小し、2024年の1月、2月はついに前年比マイナスに転じるなど、EV販売の減速が顕著。世界最大のEVメーカーである米テスラは、2024年第1四半期の出荷台数が、コロナ禍の最中にあった2020年の第2四半期以来、約4年ぶりのマイナスになった。
◎ 新興国のタイでは、2023年に割安な中国製EVの販売台数が急増し、市場シェアが9.3%に達した(2022年は1%程度)。ただし、2024年1月に国内販売台数の24.8%に達したEVの販売比率は、2024年2月には6.9%に急減した。EV補助金の減額や充電スタンドの少なさが影響したと見られる。
◎ 世界のEV販売台数の約6割を占める中国でもEVの成長率が鈍っている。2021年に前年比約160%増だったEVの販売台数は、2022年には93.4%増、2023年(1-10月)は37.8%増に低下し、2024年の伸び率は20%程度になると中国自動車工業協会(CAAM)は予測する。その一方で、エンジンを搭載するPHEV(プラグインハイブリッド車)の販売台数は2023年に約83%伸びた。2023年の中国におけるEVの販売台数はPHEVに対して2.5倍だが、今後PHEV販売の好調が続けばEVに並ぶ可能性もある──。
古臭くなった日本車
世界でEVの販売台数が鈍化している背景には、EV補助金の減額や打ち切り、割安な中国製EVを市場から事実上締め出して自国の自動車産業を守ろうとする動きが顕在化していること、いわゆるアーリーアダプター層(新しい商品を積極的に購入する層)にEVが行き渡ったことなどがあるといわれている。これまでEVの販売台数が少なく、「出遅れ」などと揶揄(やゆ)されてきた日本の完成車メーカーにとっての「巻き返しのチャンス」などと報じるニュースも少なくない。
確かにEVの勢いが世界的に低下してきたのは事実だが、そのことが本当に日本車のチャンスにつながるだろうか──。2024年3月末から4月上旬にかけてタイで開催されたバンコク国際モーターショーを訪れた筆者は、既に次の競争が始まっていることに気づかされた。それが「デジタル競争」である。展示会場を回って驚いたのは、中国車に比べて日本車の内装デザインがひどく古臭く感じられたことだ。
日本メーカーのクルマではまだ機械式のメーターが主流で、エアコンやオーディオなどを操作する多くのボタンがついている。これに対して中国メーカーのクルマは、情報表示とスイッチ類のほとんどを大型のセンターディスプレーに集約しており、インストルメントパネル(インパネ)にはほとんどスイッチ類がないため、とてもすっきりしていて、シンプルかつ上品に見える。
洗練されているのはデザインだけではない。例えば中国・重慶長安汽車のEVブランドである「Deepal」から販売されている中型SUV(多目的スポーツ車)の「S07」は、通常はドアハンドルが車体に埋め込まれているが、キーを持って車両に近づくとドアハンドルが車体から飛び出して、操作できるようになる。
エアコンやオーディオの操作は大型のセンターディスプレーから行うのだが、エアコンの操作モードを選ぶと画面に高精細のインパネの映像が表示され、ここで風量の調節ができるのはもちろん、タッチ操作で吹き出し口の方向を変えることもできる。あるいはカメラの形のアイコンをタッチすると車両を外から眺めた高精細の映像が映し出され、タッチ操作で自由に車両を回転させ、見たい方向から車両の周囲の様子を確認することができる。
ドライバーの正面にはメーターパネルはなく、代わりにフロントウインドーに前方の景色に重ねて車速や周囲を走る車両の認識状況、ナビゲーション情報(曲がり角で右折や左折を示す矢印など)、運転支援システムの作動状況などを表示するAR-HUD(拡張現実ヘッドアップ・ディスプレー)を装備する。これによりドライバーは、前方から視線を移さずに様々な情報を確認できる。
ここで紹介したような埋め込み式のドアハンドルや、表示や操作の機能を集約したセンターディスプレーはテスラが先鞭(せんべん)をつけたもので、中国メーカーのオリジナルというわけではない。しかしS07は、中国での現地価格がEV仕様で約18万元(1元=20円換算で360万円)からという低価格であるにもかかわらず、テスラ車なら1000万円を超えるような車種の装備を搭載している。加えて、テスラ車にはないAR-HUDを採用するなど、本家にはない特徴を備えている。
「EVだから選ぶ」のではない
今回のバンコク国際モーターショーでは、日本のメーカーもピックアップトラックのEVを持ち込んだり、新型HEVを展示したりと電動化を進めていることをアピールした。しかし日本のEVやHEVは既存のエンジン車を電動化したもので、デザインや機能の新鮮味には欠ける。タイの消費者が会場で日本車と中国車を横並びで比較すれば、圧倒的に中国車のほうが洗練されている印象を受けるだろうと、筆者は思った。それに、現在タイでEVを購入しているのは比較的所得の高い層であり、こうした層が消費のトレンドをつくっていくのは、先進国と変わらない。高所得層がEVを選ぶようになれば、それを見た中低所得層にもEVを購入したいという志向が生まれても不思議はない。
確かにタイをはじめとする新興国は充電インフラの整備が未熟であり、一気にEVが普及する環境にはない。しかし、これから第1章以降で解説していくように、中国の完成車メーカーは現在、エンジンも搭載するPHEVの品ぞろえを充実させている。EVよりも価格が割安で航続距離や充電インフラの心配がなく、しかもここまで説明してきたような洗練されたデザインや新たな経験をもたらす機能をEVと同様に備えたPHEVが、新興国で本格的に販売されるようになれば、これまで日本メーカーの牙城だった新興国市場を食い荒らすようになる可能性は否定できない。
既に、中国製EVのお膝元である中国ではエンジン車は「古臭いクルマ」と見なされるようになりつつある。消費者はEVを「EVだから」選んでいるのではなく、「新しい時代のクルマ」だから選ぶようになってきているのだ。
不評だったドイツメーカーのEV
2022年に中国の自動車市場を調査している研究員の話を聞いたときのことである。同研究員の属する調査会社が、中国メーカーのEVとドイツメーカーのEVについて中国の消費者に比較調査を実施した。どちらの車種も価格やモーター出力、航続距離といったクルマの基本性能はそれほど変わらなかったが、調査結果ではドイツ製EVのほうが評価は低かった。
その評価の低さのほとんどは、動力性能や乗り心地、操縦安定性といったクルマの基本性能ではなく、もっぱらコネクテッド機能の使い勝手に由来していたのだという。中国製EVは大型のディスプレーを備え、初めから豊富なアプリを備えている。それらの中には、車両周辺のレストランを推薦したり、自宅に不在のときに宅配便の荷物をトランクルームに入れておいてもらったり、あるいはクルマから離れているときに車内の様子を室内カメラを使って見られたりする、などの機能が含まれる。さらに、中国製EVは専用のマイクと高級なオーディオを備え、車内で友人同士がカラオケを楽しめる機能も搭載していた。
しかもこれらのアプリは、スマートフォンを介してOTA(通信を使ったソフトウエアの追加・更新)によって、常に最新の状態が保たれる。これは、クルマのADAS(先進運転支援システム)機能なども同様である。これに対してドイツ製EVは、アンケート調査の時点でまだ中国国内ではOTAに対応しておらず、もともと搭載されているアプリは音楽再生のみと貧弱だったことが、ユーザーへのアンケートでは不評だったという。つまり、ドイツ製のEVへの中国の消費者から見た印象は「EVなのにスマートではない」というものだった。
SNSでのコミュニティーまで評価の対象に
さらに同研究員の話で驚かされたのが、評価の対象がクルマそのものだけではなかったことだ。ドイツメーカーのEVへの不満には、中国メーカーのEVではユーザーがネット上で交流しているのに、ドイツメーカーのEVは交流がない、というものも含まれていたという。つまり、インターネット上のコミュニティーがいかに充実しているか、ユーザー同士のつながりを構築しているか、ということもクルマの評価につながっているということだ。
その研究員自身、アンケートの作成段階で困惑したことがあったという。アンケートの文面を検討する際に20代から30代前半の若い研究員から「『操縦性』という調査項目がなぜあるのか?」という質問が出たというのだ。その研究員が確認すると、若い研究員の多くはそもそも「操縦性」という言葉が何を意味するのかよく分かっていなかったという。
調査会社の研究員ということだから、その若い研究員たちは、中国ではかなり教育程度の高い若者のはずだ。そういう層が操縦性という言葉そのものを知らないということは、そもそも「走る、曲がる、止まる」というこれまで日米欧の自動車メーカーが重視してきたクルマの基本性能への興味がほとんどないということを意味する。こうした傾向は中国だけではなく、世界で一般化しつつある。
新しい時代のクルマをつくる
実際、中国製EVに触れ、様々な操作をしていると、中国のメーカーは、未来を感じさせるクルマをつくろうとしていると感じる。単に見た目の新しさだけではなく、いかに新しいエクスペリエンス(経験)をつくり出すか、そのことを非常に重視して中国製のEVは設計されているのだ。それは、日本や欧米の自動車メーカーが、これまでのクルマからEVに乗り換えても違和感のないように仕上げているのと対照的である。そして、中国メーカーが新しいエクスペリエンスをつくり込むための手段として重視しているのは、旧来の自動車産業で重視されてきたメカの技術ではなく、ソフトウエアや半導体、あるいは電子デバイス、高速通信といったデジタル技術である。
つまり、中国メーカーは、単にエンジンをモーターやバッテリーに載せ替えたクルマをつくろうとしているのではない。電動化技術を含むデジタル技術をフルに活用した次の世代のクルマを生み出そうとしているのだ。ここに来てようやく、日米欧の完成車メーカーも、真の競争軸はEV化ではないことに気づき始めている。デジタル技術を武器に、これまでにない、新たなエクスペリエンスを盛り込んだ次世代のクルマを生み出すこと、それが電動化を越えた新たな競争軸としてにわかに台頭してきたのである。
こうした中国メーカーの勢いが顕著に表れているのが自動運転技術である。2024年4~5月に開催された北京モーターショーでは多くのメーカーが市街地で利用できる自動運転技術をアピールした。自動運転といっても、実際に利用するときにはドライバーがシステムの動作状態を監視する必要があるが、市街地から高速道路まで、ドライバーがステアリングやアクセル、ブレーキを操作することなく、進路変更や、信号のある交差点の右左折を含む運転操作をクルマ自身が行うシステムが既に実用化されているのだ。これは、中国以外だとテスラしか実用化しておらず、しかもテスラのシステムは、ドライバーがステアリングに触れている必要がある。つまり、市販車の自動運転技術において、既に中国は世界の最先端を走っている。詳しくは第3章で解説するが、EVの次の競争軸であるデジタル技術の開発競争でも、中国が世界をリードし始めているのだ。
本書では、このデジタル技術をフルに活用して新たな価値を盛り込んだ次世代のクルマを「DV(デジタルビークル)」と呼び、EV競争の勃興と終焉(しゅうえん)、新たな競争軸としてDVが登場してきた背景、DV競争の最前線、DVを成立させる要素技術、そしてDVが今後どのように自動車業界を変え、人とクルマの関係を変え、社会に変革をもたらすかについて解説していく。
本書の構成は以下のようになっている。
まず第1章では、これまでのEV化の動きについて分析していく。2022年、世界の自動車販売台数に占めるEVやPHEVなどPEVの合計は10%を超えるというエポックメーキングな年となった。そのけん引役は中国と欧州である。これに対して日本はEV化で後れを取っているといわれる。ではなぜ中国と欧州はEV化で先行できたのか。なぜ日本は遅れることになったのか。さらには、中国や米国で、EVからの揺り戻しといえる現象が起きているのはなぜか。本書で、クルマの競争軸がEVではなくなるという主張をしているのはなぜなのか。この章で明らかにしていく。
第2章は、次世代のクルマであるDVとはどのようなものかについて考えていく。DVの核となるテクノロジーは、生成AI(人工知能)を含めたソフトウエア技術である。従来のクルマでも、エンジンや変速機などの制御にソフトウエアを搭載していた。こうしたクルマとDVは何が違うのか。世界の完成車メーカーはDVによりどのような新しい価値を生み出そうとしているのかについて解説していく。ソフトウエア技術の重要性が増すという点で、DVは現在自動車業界で話題になっている「SDV(ソフトウエア定義型車両)」と似た概念である。にもかかわらずなぜ本書では、あえて次世代車をDVと呼んでいるのか、DVとSDVはどう違うのかについても触れる。
第3章では、DVを構成する要素技術にはどのようなものがあるか、こうした新たな要素技術がどのようなビジネスチャンスを生むか、そしてこうした新たな要素技術が完成車メーカーと部品メーカーの関係を大きく変えていく可能性があることについて解説していく。
本書を、自動車産業のこれからについて関心のある皆様が、未来の自動車産業を想像するうえで、少しでも参考にしていただけたら幸いだ。
【目次】




