高卒バイトから24歳で社員に登用され、𠮷野家ホールディングス(HD)のトップに上り詰めた河村泰貴氏。子会社のうどんチェーンはなまる時代を含め、18年間社長を務め、その間、自らの生き方や仕事術、人生哲学をつづった560通のメッセージを従業員に送り続けた。無気力で何の取りえもない若者が、どのようにして変貌を遂げたのか。そのエッセンスをまとめた新刊『自分以外のすべてがわが師』から、抜粋してお届けする。その第6回。
わたしのとても恥ずかしい過去の経験について書きます。それは今からおよそ30年前、わたしが大阪の営業部から旧セゾングループのシンクタンク、セゾン総合研究所に出向して間もない頃のことです。
いきなり研究所の研究員という肩書をいただいたのですが、何もできない自分に対する無能感とそれに対するいら立ちでつらい日々を過ごしていました。
そんなある日、飲食店の視察に行くことになりました。同行したのは、わたしと同じようにセゾングループから出向してきていた、わたしより年下の若手の方でした。
研究所でのほかの仕事では何の役にも立てないわたしでしたが、飲食店の視察なら、一応現場の経験もあり、頑張ってその店をチェックしました。残念ながらその店は、お世辞にも良い状態とは言えず、QSC(品質・サービス・清潔さ)のすべてにおいて、見るべきものがありませんでした。

今でも心がざわつくほど恥ずかしい経験
帰り道、わたしは同行した年下の彼を相手に、その店のダメな点を次々とあげつらうように、感想を述べていました。すると、しばらく相づちを打ちながらわたしの話を聞いていた彼が、やさしくこう言いました。
「河村さん、良いところを見ないとダメですよ」
……わたしはフリーズしてしまいました。そして、自分の愚かさ、得意げにそのお店を批判している醜悪さが、本当に本当に恥ずかしくて、その場から消え去りたいとさえ思いました。
「そ、そうやね。ごめん」と声を絞り出すのがやっとでした。
そうなんです。彼はそれ以上、何も言いませんでしたが、わたしは浅い浅い自分の経験から得ている、ものすごく偏ったモノサシでしか、そのお店のことを見ていませんでした。これでは、何を見たところで、何も学ぶことはできません。こうして書いていても、あのときのことを思い出すと、ちょっと心がざわつくくらい、恥ずかしい経験でした。
他の店、他の人の「良い点」を見つけて学ぶ
もちろん、あのとき経験を戒めとして、以降、他社のお店などを見るときの基本姿勢としては、自社にはない良い点を見つけるよう心がけることにしました。
もちろん今でも、それが100%できているわけではありませんが、他社のお店などを偏ったモノサシで、しかも批判的に見ている自分に気づいたときは、いつもあのときの彼の言葉が思い出されます。あのとき、彼がああ言ってくれたことを、今でも心から感謝しています。
彼はその後、転職してヘルスケア関連の会社で若くして社長を務めていましたが、30代の若さで病死されました。無念だったと思います。あのときの恥ずかしい記憶を思い出すたび、彼が教えてくれたことを大切に、彼の分までしっかりと丁寧に生きていこうと思います。
河村泰貴 著/日経BP/1980円(税込み)
