W・エドワーズ・デミング。第2次世界大戦中、米国の圧倒的な生産力を「統計的品質管理」によって支え、その後、敗戦の痛手に苦しむ日本にその管理手法を伝えて奇跡の復興をもたらした伝説の統計学者である。そのデミングが1982年、経済大国となった日本に圧倒されて危機に瀕した米国産業界へ「復活の処方箋」として示したのが『OUT OF THE CRISIS』。その名著の初の邦訳 『危機からの脱出』 が「日経BPクラシックス」シリーズに加わった。折しも「不正」や「偽装」が次々と明るみに出る日本の産業界、1993年にこの世を去ったデミングの「40年越しの遺言」に、今こそ改めて目を通してほしい。

1950年夏、無名の統計学者の来日と「伝説の講演会」

 「6月15日来日されたDr.Demingは2カ月余の多忙なスケジュールをあとに、8月22日空路帰米された。2カ月余の在日中博士が日本のために特にわれわれのためにつくして下さった努力と好意は極めて大きい。特に博士は、帰米の前々日、わざわざ箱根まで出向かれ、日本の工業界の代表的大会社42社の社長、専務等首脳者のために、統計的手法の応用について、極めて懇切なお話しをして下さった。(中略)講演後参加者は悉(ことごと)く『よい話でした、何時間きいてもあきません』『帰ったら早速品質管理をやらせます』と口々に感激を語り合った。」

 これは、日本科学技術連盟が発行していた専門紙「エンジニア・クラブ」1950年9月3日号の記事です。

 この記事には、デミング博士の「Let us hope and pray that 1950 may mark the re-birth of Japanese industry, and much wealth and happiness for Japan.」というメッセージが続いています。

 講演会の出席者名簿を見ると、明治鉱業、日本曹達、日本セメントの社長以下ズラリと当時の大企業首脳が名前を連ねるなか、石川島重工業社長としてその後経団連会長、臨時行政調査会会長を務めた土光敏夫氏の名前もあります。

 そして近年、品質不正の不祥事が頻発している三菱電機取締役の名前も掲載されています。

 W・エドワーズ・デミング博士は1900年生まれですから、占領下の日本にGHQ(連合国軍総司令部)の招きで来日したときは、ちょうど50歳でした。米ニューヨーク大学で統計学を教えていましたが、世間的には無名でした。

 博士の統計学は、実践で鍛えられています。第2次世界大戦で米国はヨーロッパではナチスドイツと、アジア太平洋では日本と戦いました。

 米軍は緒戦の劣勢を挽回していくのですが、その源は圧倒的な生産力にありました。戦闘機や戦艦など武器・装備品を供給する軍事工場の生産性の高さで日独を圧倒しました。その生産性を支えたのが統計的プロセス制御、統計的品質管理で、それを指導するチームにデミング博士はいたのです。その経験を買われての招聘(しょうへい)でした。

W・エドワーズ・デミング氏(写真:AP/アフロ 1987年撮影)
W・エドワーズ・デミング氏(写真:AP/アフロ 1987年撮影)
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「マネジメントの病」…読むべきはドラッカーより、デミング

 デミングの伝説的な講演会の後、日本企業の品質管理は飛躍的に向上しました。その成果が1980年代に明らかになります。自動車やテレビなど電気製品を筆頭に世界の市場を席巻しました。

 1979年、米ハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル教授は『Japan as Number One: Lessons for America』を出版しています。1980代には日本の品質管理の専門家がアメリカ企業を指導するため、訪米しています。本書には日本の事例が多数取り上げられ、「アメリカは短期志向でどうしようもないが、日本は素晴らしい」とデミング博士は随所で称賛しています。30年で先生と生徒の立場が逆転したのです。

 そうした米国産業の危機的状況の中で書かれたのが『危機からの脱出』です。当時は影響力のあった全米ネットワークのテレビ局NBCが1980年に「If Japan can ……Why can’t we」という番組で無名の存在だったデミング博士を取り上げ、博士は一躍、時の人になります。

 「米国産業界の病と、その病が引き起こしている失業の根本的な原因は、トップマネジメントによる『マネージ』の失敗にある。売れるものがなければ、何も買えない」(本書第Ⅰ巻はじめに)

 米国のマネジメントを変革(トランスフォーメーション)するために書かれた本書は、巡り巡って、いま日本の経営者が読むべき本として蘇(よみがえ)ったようです。1982年初版、1986年に改訂された本書は、3年がかりで初めて日本語版が刊行されました。

 いま読むべきはドラッカーではありません。デミングなのです。

W・エドワーズ・デミング著、成沢俊子、漆嶋稔訳『危機からの脱出 Ⅰ・Ⅱ』(日経BPクラシックス)
W・エドワーズ・デミング著、成沢俊子、漆嶋稔訳『危機からの脱出 Ⅰ・Ⅱ』(日経BPクラシックス)

文/黒沢正俊(「日経BPクラシックス」シリーズ編集者)

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