外資系企業による、日本企業のエース人材の引き抜きは活発化し、2015年頃には、富士通もターゲットになった。この頃には、人材を奪われる側だった楽天グループなどが、引き抜く側に回り、そこにスタートアップが加わる。激しくなるばかりの人材争奪戦をサバイブする方策とは。元ヘッドハンターで、グローバル企業の採用をよく知る小野壮彦氏が考える。新刊『世界標準の採用』から、抜粋してお届けする。
富士通も外資に人材流出
世界との差、すなわち「グローバルギャップ」について、ここまで述べてきましたが、日本にはもう一つ、より身近で深刻な「ローカルギャップ」というものが存在します。
まず、すでに述べたように、外資系企業による、日本企業のトップタレント獲得がこの10年で顕著になりました。当初、狙われたのはリクルートホールディングスや楽天グループといった一部の企業でしたが、外資系企業の日本国内での活動領域が広がるにつれ、人材のニーズも多様化しました。今や、そのハンティングの脅威はあらゆる日本企業へと及び、誰も無視できないレベルにまで進展しています。
たとえば、富士通では、2015年ごろから25~35歳の社員が外資系企業に転職するケースが増加し、大きな経営課題となっていたことが政府の「ジョブ型人事指針」に報告されています(*1)。2015年といえば、リンクトインの日本法人設立から4年後、楽天が桑原メリッサ氏の招聘(しょうへい)(*2)に成功した翌年。採用革命の国内上陸タイミングと符合します。
*2. 楽天による桑原メリッサ氏の招聘については、連載第5回「三菱UFJもトヨタ子会社も採用革命 グーグル・楽天出身のキーマン」参照。
富士通では育成した人材の流出が増加した一方で、外部からの経験者採用は思うように進んでいなかったようです。この人材枯渇への危機感が、ジョブ型人事制度の導入など、全社的な経営改革を進めるきっかけとなりました。
外資系に続いて、新たな勢力からの攻勢も始まりました。それはまさに「内からの脅威」。積極的に経験者採用を進める国内メガベンチャーの台頭です。
「攻める側」に回った楽天やDeNA
たとえば楽天、ディー・エヌ・エー(DeNA)、エムスリーなど、2010年前後に急成長した企業がその代表格です。
これらの企業は、日本の伝統的な採用モデルから離れ、シリコンバレー流のモダンな採用モデルから大きな影響を受けています(*3)。年功序列の要素を薄め、成果主義色の強い評価・登用システムを導入することで、若手に大きな裁量を与え、早くから重要な仕事を任せています。これが職場としての魅力となり、国内大手企業や官公庁からのタレント獲得が進んだのです。
さらに、近年、存在感を増すスタートアップの存在も見逃せないポイントです。日本のスタートアップは、GDP(国内総生産)全体から見ればまだ小規模ですが、首都圏の採用市場における影響力は無視できないレベルに達しています。東京では、全労働人口の約8%がスタートアップ企業で働いているとされ(*4)、採用市場にも大きな変化をもたらしはじめています。
たとえば、スマートニュース(*5)やアンドパッド(*6)、キャディ(*7)、カケハシ(*8)などは、未上場企業ながらも社員数が数百人を超える規模に成長し、採用市場においても確実に存在感を高めています。
これらのスタートアップの取り組みは、前述した楽天など、ひと世代前の急成長企業群と比べても、さらにモダンです。効率よりスピードを重視し、総力を挙げて成長に集中する電撃戦(ブリッツスケーリングと呼ばれます)を創業初期から展開し、その一環として大量採用を実施します。量を追うばかりではありません。才能ある人材を短期間に確保するため、トップタレントの獲得に特化したTA(タレントアクイジション)チームの構築も進め、各レイヤーでダイレクトリクルーティングを積極的かつ戦略的に活用しています。
*4.フォースタートアップス (2024)「スタートアップ企業で働く人口調査」
*5. スマートフォンアプリ「スマートニュース」の開発・運営などを手掛ける。2012年設立。
*6. 施工管理・業務管理システムの販売・運営などを手掛ける。2014年設立。
*7. 製造業向けのクラウドサービスなどを手掛ける。2017年設立。
*8. 薬局向けのクラウドサービスなどを手掛ける。2016年設立。
「イケてる」人材を狙う3種類のプレイヤー
このように、外資系、国内メガベンチャー、スタートアップという3種類のプレイヤーが、新しい採用モデルをこぞって一斉に推進したこと。その余波は、日本国内の様々な企業に及びました。
これまでなら辞めることなど考えもしなかったトップクラスの「イケてる」人材が次々と姿を消していく──。どの企業も、この事態に戸惑いを隠せません。
そして今、国内の名門とされる伝統的大企業においても、ついに上層部が深刻な経営問題として認識するまでに(ようやく)至ったのです。これが、今日の私たちの到達地点であることを、直視するべきでしょう。
こうして、日本の人材獲得競争は、いまだかつてない熾烈な段階に突入しています。かつての安定的な雇用環境を取り戻すことは、もはや期待できません。
次々と名門企業を去る「イケてる」人材たちが向かう先には、外資系の巨大企業、急成長中の国内メガベンチャー、そして未来を見据えたスタートアップがあります。欧米ではキャリアの選択肢として一般的なものですが、日本人のキャリア戦略もいよいよこれに重なりはじめているのです。
「育成」の力で乗り切れるか?
「人材獲得競争が激化し、若手の流出が起きているだって? そんなことは、今さら言われなくても分かっているよ!」と感じておられる方も多くいらっしゃるでしょう。現実にはいろいろと事情があるものです。
また、「経験者採用はそこまで必要なのか?」と思われる方もいるかもしれません。「足元で若手が流出しているとしても、これから内部を固め、新卒採用した次世代をしっかり育てていけばよいのではないか」と。この難局を「育成」の力で乗り切ろう、という考え方です。このような代替策は、果たして効果的でしょうか。
人材の育成に長けた日本企業の筆頭は、おそらくリクルートホールディングスでしょう。リクルートのすごさは、研修プログラムが充実しているだけでなく、会社全体のあらゆる仕組みが「いかに人材を育成するか」という目的に向けて最適化されている点にあります(*9)。
その熱量と技術、仕組みは、日本トップというばかりか、世界でもトップクラスといっても過言ではありません。まさに日本の人材育成界のボスとも呼べる、輝かしい存在です。
そこで考えていただきたいのです。リクルートほど人材育成に優れた企業であれば、外部からの人材獲得に力を入れる必要はないはずだ。と思われませんか。内部人材だけで、十分に成果を上げられるのではないでしょうか。
リクルートの採用は、意外に「外資っぽい」
しかし、リクルートはそんな「ゆるい」会社ではありません。内部での育成を徹底しつつ、さらにプラスアルファとして、30代、40代の経験者採用にもガンガン取り組んでいます。グループ全体で見ると、「中途採用者数」は「新卒採用者数」の5-6倍に上ります(*10)。ホールディングスの子会社で国内事業を主に手掛ける「リクルート」では、約2万人の従業員のうち、約82%がキャリア採用による入社です(*11)。
このように、リクルートは実際のところ、一般的なイメージとは違い、かなり日本式の採用モデルから離れてきているのです。
たとえば、昨今では各社がこぞって取り組む「AI人材の獲得」にも、リクルートはいち早く、アグレッシブに取り組みました。2015年には、米シリコンバレーに新設したAI研究機関の研究トップとして、元グーグルの大物、アーロン・ハーベイ氏の招聘に成功しています(*12)。それはまさにパワータレントの獲得でした。
このように、リクルートは内部育成だけでなく、外部からの人材獲得にも力を入れ、常に成長と進化を求める姿勢を維持しているのです。
*11. リクルートの企業サイト内「数字で見るリクルート」参照。採用活動に関わる社員数、採用候補者に向き合う面接以外の総接点数なども開示されており興味深い。
*12. 2015年11月の「ニューズウィーク日本版」によれば、アーロン・ハーベイ氏は、ワシントン大学教授時代にベンチャー企業を2社創業。うち1社がグーグルに買収されたのを機に、グーグルに移籍。10年間にわたりグーグル研究所の構造化データ部門の研究責任者を務めた。論文数やその引用回数に基づいて、研究者の相対的な評価を示す「hインデックス」は当時「94」。東京大学の松尾豊氏の「31」と比べてもかなり高く、世界トップクラスだった。
「採用のミスは、育成では取り戻せない」
リクルートの人事部門に所属していたとある方から、個人的な意見としてこう聞いたことがあります。
「トップタレントを育てるには、トップタレントの卵が必要です。その考え方は新卒採用も経験者採用も一緒です。結局、人間の根本的な変化は研修だけでは望めません。だからこそ、私たちは採用が勝負だと思っています。育成のミスは育成で取り戻せますが、採用のミスは育成では取り戻せないのです」
つまり、新卒採用ではもちろん、あらゆるチャネルと手法を駆使して、トップタレントの卵を獲得し続ける。そこに、半端ない熱量をかけて育成に臨む。そこまでやっているのに、それだけでは飽き足らず、経験者採用で他社からトップタレントを引き入れているというわけです。
いかがでしょうか。世界屈指の人材育成力を誇るリクルートでさえ、これほど真剣に採用市場と向き合い、トップタレント獲得にこだわり、新卒採用をはるかに上回る経験者採用に取り組み続けているという事実に向き合いませんか。そこまでの育成力を持たない企業が「育成でなんとかなる」という「ゆるい」姿勢でいたらどうなるでしょうか。
そもそも内部人材の層が薄い中、育成にリソースを割いているうちに優秀層を他社に引き抜かれてしまえば、ひとたまりもありません。せっかくの育成の努力も報われなくなってしまいます。
そんな時代において、「育成で乗り切ろう」という方針は果たして現実的でしょうか。そのような「育成信仰」は、むしろ現実から目を背けるものであり、経営上の怠慢を招く害悪とさえいえるのではないか。そう思わざるをえません。

[日経ビジネス電子版 2025年5月9日付の記事を転載]
小野壮彦著/日経BP/2970円(税込み)
