米国のシリコンバレーで始まった「採用革命」が、日本にも上陸。外資系企業によるエース人材の引き抜きが活発化している。引き抜きのターゲットとなりつつあった楽天グループは、グーグルジャパンから採用人材を招聘(しょうへい)し、最先端の「タレント・アクイジション=TA」の基盤を構築。その功労者が、さらにウーブン・バイ・トヨタに移籍するなど、日本の採用市場は激動期を迎えている。新刊『世界標準の採用』から一部を公開。
三菱UFJ銀行「中途採用拡大」の意味
ここまで、世界の採用スタンダードがどのように形成されてきたかを見てきました。では、翻って、日本の現状はどうなのでしょうか。ここからは、主体を「私たち」、すなわち日本企業に置き換え、日本企業が、なぜ今、変革を必要としているのかを整理し、問題提起してみたいと思います。
まず、日本の採用の実態を整理してみましょう。
日本にいると、「採用革命」など遠い国で起きていることのように思えるかもしれません。しかし実際には、この波はすでに日本の沿岸に到達し、上陸を果たしています。
たとえば、2024年8月、日本経済新聞に「大手金融、中途採用拡大へ直接スカウト 仲介に頼らず」という記事が掲載されました。三菱UFJ銀行がリンクトインやビズリーチの活用に乗り出すなど、日本のメガバンクでもダイレクトリクルーティングの導入が進んでいることを伝えています。このニュースは、ここ十数年の間に静かに進んできた大きな変化の一端に過ぎません。
振り返れば、皆さんの周りにも、同様の変化が起きているのではないでしょうか。ご自身にダイレクトリクルーティングの声がかかったり、同僚や知人、友人が他社に引き抜かれたり、あるいは新しい上司が異業種から転職してきたりと。そう、採用の状況は着実に変わってきたのです。
日本の採用市場の現場では、今、何が起きているのでしょうか。

端的にいえば、TA(タレントアクイジション)システムの導入です。グローバル企業や先進的なスタートアップ企業だけでなく、日本を代表する大企業のいくつかでも、飛び抜けた才能(タレント)を積極的に獲得(アクイジション)するTA業務の重要性を認識し、従来の採用手法からの脱却が徐々に進行しはじめています。
前述のように(*)、海外のグローバル企業の経営戦略においてTA業務が大きな役割を占めるようになったのは、2008年にリンクトインが採用支援ツール「リンクトイン・リクルーター」をローンチしてからです。このツールの登場により、企業は自ら候補者を探し、ダイレクトにアプローチする「ダイレクトリクルーティング」を行えるようになり、この手法はシリコンバレーから世界へと広がっていきました。
そして、2011年に日本でも小さな一歩が記されました。東日本大震災が発生したこの年、リンクトインが日本法人を設立しました。この動きに呼応するように、グーグルをはじめとするGAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフト)の外資系大手テック企業が、日本法人において本格的にTAチームの組成、整備を開始したのです。振り返るとこの2011年が、日本におけるTA元年だったといえるでしょう。
特に、米国系企業に顕著ですが、本社は各国からの例外対応の要望を嫌う傾向にあります。現地法人からの「うちの国は変わっているので、まだそれは時期尚早です」などといった陳情は無視されがちです。
こうして、GAFAMをはじめとするグローバル企業の本社の、社内にTAチームを作り、採用エージェントに支払う費用を削減しよう。というグローバル方針が、そこまでそのコストが問題になっていなかった日本にも適用された結果、日本現地法人にTAチームが設立されていったということが大きな流れでした。
しかし、当時の日本はどうだったでしょう。当然ですが、そもそもTA業務を理解する人材が国内に存在しないという状況でした。
この状況に対して、GAFAMはどのように対処したのでしょう。
狙われた「日本企業のエース人材」
その方法は様々でした。たとえば、グーグルの日本法人では、TAチームの構築を進めるため、採用エージェンシーから社員を引き入れていました。シーディエスアイ(現・RGFエグゼクティブ サーチ ジャパン)といった外資系人材を得意とするエージェンシーから人材を出向させる形も取っていました。
一方、アマゾンの日本法人は、外資系企業で伝統的な採用経験を積んだ人材をモダンなTA人材へとリスキリングしていく手法を採りました。TAチームのリーダーとして、米国通信業界で経験を積んでいた日系米国人のエリコ・タリー氏を迎え、TAチームの整備を始めました。
このように、アプローチは各社各様ながらも、断固たる意志でTAオペレーションを立ち上げる努力がなされたことにより、日本市場においてTA人材の「培養」が始まりました。それと並行して、ダイレクトリクルーティング活動の実行も本格化していきました。
こうしてグローバル基準を導入した外資系テック企業による採用変革は、各地で摩擦を引き起こしながらも、市場のルールをぶっ壊すくらいの強烈なインパクトを与えました。この破壊的なエネルギーとともに、TAシステムは確かに日本に上陸し、根を張りはじめたのです。
外資系テック企業、とりわけGAFAMの日本法人がTAチームによるヘッドハンティングを積極的に展開しはじめると、やがて日本企業からの人材流出が目立つようになりました。特にターゲットとされたのは、MBA留学や国際部門で活躍した経験を持つ、日系グローバル企業のエース人材たちでした。
このエース人材たちをピンポイントで引き抜かれた日本企業は、この流出現象が何によるものか、その原因を探りはじめます。そして、その背景にはTAシステムやTAチームといった新しい概念や仕組みがあることに気づくに至ったのです。
こうして次第に日本企業も、TAシステムを研究し、自ら積極的に導入していくようになっていきました。それはいわば採用革命の、日本経済本丸への転移です。その始まりは、自社からの人材流出への対抗措置であり、ディフェンスのためのオフェンス強化が不可欠になった。という認識からでした。
ところで、日本におけるTAシステムの進化において、実は楽天グループが重要な役割を果たしたことはあまり知られていないかもしれません。
日本企業で洗練されたTAシステムをいち早く完成させたのは楽天だといっても過言ではないでしょう。
楽天は2002年、バーティカル戦略とポイントプログラムを打ち出し、「楽天経済圏」というコンセプトでアマゾンに対抗する方針を掲げました。2000年代後半からグローバル展開を開始し、2010年代にはキャッシュバックサイト「イーベイツ」や通話アプリ「バイバー」などの海外企業を次々と買収。海外拠点も急速に拡大していきました。
このように多角化とグローバル化を進める中で「アントレプレナー精神にあふれる優秀なマネジメント人材の確保こそが、戦略実行の生命線であり、その人材獲得の対象を世界に広げるべきだ」と、強く認識しはじめたのは自然なことでした。その流れの中で2012年、社内公用語の英語化がスタートしたのです。
楽天「英語公用語化」の皮肉な副作用
しかし、やがて英語を使える人材を育てたことが裏目に出はじめます。皮肉にも競合であるGAFAMへの人材流出が深刻化していったのです。
そのような状況下で、楽天もカウンターアタックに打って出ました。外資系テックジャイアントらがフル活用するTAシステムのパワーを、日本企業としては極めて早い段階で「発見」し、他に類を見ないほど貪欲にそのモデルをコピーし、導入を進めたのです。
さらに深掘りしますと、楽天は2014年、大きな一歩を踏み出しました。グーグルジャパンでTAチームを牽引していた桑原メリッサ氏の招聘(しょうへい)に成功したのです。シリコンバレー流の採用のノウハウを実践してきた彼女を迎え入れ、楽天は世界最先端のTAシステム構築に乗り出します。その結果、国内外からトップタレントを次々に獲得し、グローバル競争における人材戦略の基盤を強化していったのです。
これこそが押さえておきたい、国内における重要なTA発展の歴史といえるでしょう。

それからおよそ10年がたちました。日本におけるTAシステムは確実に根を下ろし、成長してきました。
グーグルから楽天を経て、ウーブン・バイ・トヨタへ
外資でキャリアをスタートしたTA第一世代は続々と日本企業の本丸に転じています。桑原氏はトヨタグループでAI・ソフトウエア開発を担うウーブン・バイ・トヨタにてTAチームを率い、さらなる道を切り拓いています。
また、アマゾンジャパンの初期TAチームでキャリアをスタートさせたメンバーも、各分野でそのノウハウを広めています。高橋美智子氏はオリンパスへ、鈴木由佳氏はAI開発のABEJAへと転じ、それぞれやはり、日本企業の本丸でTAシステムの社会実装・普及に貢献しています。
彼女たちのキャリアが外資から、楽天のような国内メガベンチャー、そして日系トップ企業へと移っていったことは興味深い一致だといえるでしょう。それはまさにTAの波が日本社会へと浸透していく過程を合わせ鏡のように映し出しているように思えます。
[日経ビジネス電子版 2025年5月7日付の記事を転載]
小野壮彦著/日経BP/2970円(税込み)
