「辞典であるにもかかわらず読みやすい。いわゆる『あるある話』も随所に散りばめられていて、お硬い内容も興味本位でさらっと読める」。そう語るのは、組織・人材をテーマに多くの著書を持つビジネス・ブレークスルー大学客員教授のキャメル・ヤマモトさん。『 禁断の会社用語辞典 組織・人事コンサルタントが教える企業の現実 』(岡本努著・日経BP)のユニークな「読み方」を解説します。
読者は、ひとりでに自社の「診断」を始めてしまう
本書は、企業の人事と人材と組織にかかわる約200語を解説した辞典である。この辞典は、書名が示唆するように「禁断の辞典」であるから、アダムとイブ的な「つまみ食い」で読み始めて、順次、「ランチ」や「フルコース」に進むとよいだろう。
まずは目次をみて気になる用語のみの「つまみ食い」だ。職場やネットやニュースで聞きかじっていて気になりそうな用語が散りばめられているから、この辞典を手元において、1日1度、ネットの替わりにぱらぱら頁をめくって1つの用語だけ読むのが本辞典への入門としておすすめだ。
もう少し時間ができたら、ランチとして読む。各章がランチ3回分くらいの長さだ。ちなみに章立ては、「報酬と昇進・昇格」、「労働時間と働き方」、「人事評価・考課」、「採用、雇用、キャリア」、「組織風土と企業文化」、「求める人材、人材育成・研修」、「役職・肩書、会社の仕組み」、「人事制度、戦略・最新ワード」となっている。
そんな風にして、結構おいしいと思った方は、フルコース(=通読)に進む。
本書は、軽いタッチでざっくばらんに本音で書かれているから、辞典であるにもかかわらず読みやすい。いわゆる「あるある話」も随所に散りばめられていて、お硬い内容も興味本位でさらっと読める。「各項目の分量×項目数」が1冊の本として読める量に収まっている。
つまみ食い・ランチ・フルコース、いずれの読み方でも、禁断辞典を読むと読者はひとりでに「診断」を始めるに違いない。
約200の用語1つずつについて、本辞典では必ず、「本来の意味」と「現実」が書き分けられている。前者は教科書的でオーソドックスな定義であり、後者はその用語が企業で実際にどう運用されているかという現実の姿(あるある話)を示す。
「現実」は数個の箇条書きで、典型的な日本企業を彷彿(ほうふつ)とさせる(建前的な定義とは異なる)本音の運用実態と、外資系企業にみられそうなドライに割り切り過ぎの運用例が織り交ぜられている。読者は、自社や自チームや自分について、「本来」と「諸現実」の間でどこに位置するかという診断を思わずしてしまうだろう。
さらに、ランチやフルコースに進んだ読者であれば、どの用語が気になるか、ピンとくるか、縁遠いか、もわかるはずだ。そこまでいけば、自社について約200の検査薬で人間ドック並みの総合診断もできそうだ。
禁断辞典を読むとよい読者は誰か? この辞典はまず、人事部メンバー用の研修教材や、人事の新人の必読書とするのに向いている。他方で、人事課長や部長が、本書を用いた診断に基づいて、新しい人事施策を構想することもできるだろう。意外に役立ちそうなのが組合だ。本書の「現実」をヒントに自社の「現実」を経営側につきつけつつ、一緒に考えましょう、ともちかけるのも悪くない。管理職や経営幹部も、人的資本政策を練り上げる際に、人事•人材の現場に根ざしたネタ満載の本辞典が役立つに違いない。
そして何よりも、人事部その他における「グループ討議」の起爆剤に、禁断辞典はうってつけだ。というのも、この辞典の諸用語解説には、議論を誘発する力があるからだ。本来の意味と諸現実のコントラストも議論誘発力をもつし、それに加えて、議論を引き起こす「ツッコミどころ」もふんだんにある。実際、レビューを書いている私も、本辞典を読みながら思わず「ツッコミ」を入れてしまう。
たとえば、「労働時間と働き方」の章の「ワークライフバランス」という用語。そこに書かれた「本来の意味」と「諸現実」のギャップは大きく、「こんな実態なら、ワークライフバランスなんか気にしない方がましだ」と思ってしまう。所詮、ワークとライフは時間を取り合う矛盾する関係にあり、過剰なワーク時間を減じてライフ時間を増やせばワークは損なわれ、ワーク能力も減じるのが相場だろう。そうなればライフを楽しむどころではなくなる。AI のおかげでより少ない時間でも前より優れたワークが可能なはずなど安易な囁(ささや)きに乗るといつのまにかAI君に私は代替されかねない。
ワークライフバランス以外の用語でも、本来の意味と現実を読み比べると根本的な矛盾がみえてくる。そのような矛盾を諸用語で目の当たりにすれば、十人十色の反応を惹起(じゃっき)し、いやでも議論を引き起こすだろう。
もう1つ私のツッコミの例。「人事評価・考課」の章を読むと、かなりの部分が広い意味での評価に関連する記述が並ぶ。その中で、「評価会議といいながら仕事や能力を見るのではなく、性格のクセ、態度、やる気などについてくわしく評しながら社員にレッテルを貼ってしまっているようなケースもある」という記述に目が留まる。
この件(くだり)を読んで私の中から反論が出てくる。
「とはいっても、性格やクセや態度ややる気こそ、仕事のパフォーマンスを左右する能力の一部ではないか。」
「これからの時代、いわゆる仕事能力は次々とAIに代替され、人の優位性として残るのは性格やクセや態度ではないか。」
私の反論の当否はともかく、評価にまつわる諸用語解説は、「これからの時代、人に求められる能力はどうなるか」をめぐる活発な議論を引き起こすに違いない。
他方、ツッコむのはいいが、しかし、とも私は思う。筆者は私の抱く矛盾への答えをちっとも与えていない。矛盾を与えて放置するなんて意地悪だ。でも、辞典という性格上、政策的な含意(がんい)をもつ正解めいたことの記述は控えられていてもしょうがないか。そう思いながら気を取り直して、辞典の随所に織り込まれた「解説」を拾い読みすると、そこには著者の見解がしっかり書かれていて、それらは正解へのヒントとなり得る。いずれにせよ、禁断辞典の「解説」のみをたて続けに読むのも面白そうだ。
最後にもう一言。用語の中には、POC、ゲーミフィケーション、ジョブクラフティング、インクルーシブ/インクルージョンなど漢字化(日本語化)できない新語たちも並ぶ。本辞典の該当記述を読むと、これらのカタカナ新語たちも、漢字化された従来用語たちに引けを取らずに、企業の現実に入り込み始めていて、本来の意味と諸現実の間の諸ギャップを見事に生み出し始めている。
