「チョークポイント」とは、相手の息の根を止める急所のこと。そんな物騒な単語が経済の分野で注目を集めるのが、世界の現状だ。第2次世界大戦後、国際経済の基盤となってきた自由貿易体制は瓦解が進み、相互に急所を突き合う“世界経済戦争”が本格化しようとしている。『 チョークポイント アメリカが仕掛ける世界経済戦争の内幕 』(エドワード・フィッシュマン著、三木俊哉訳)は、その歴史と現状を踏まえ、これからを見通そうとする1冊である。ここでは本書に収録された鈴木一人・東京大学公共政策大学院教授による「解説」を紹介する。日本はどのように「チョークポイント」と向き合うべきなのか。
【解説】日本はチョークポイントの重要性を再認識せよ
鈴木一人(東京大学公共政策大学院教授)
第2次世界大戦が終わって80年たった今、日本語版の本書が世に問われるのは極めて象徴的である。エドワード・フィッシュマンが著した『チョークポイント』は、まさに第2次世界大戦後につくられた、いわゆる「1945年コンセンサス」の気道を圧迫し、その息の根が止まる過程を描いている(チョークポイントとは、そこを押せば相手の息が止まる箇所を指す)。
「1945年コンセンサス」の終わり
「1945年コンセンサス」とは、第2次世界大戦後の国際秩序について、国連を中心とした国際機関によって一定のルールを設定し、そのルールの下で国家が共存し、戦争を違法化する(国連憲章第二条第四項)合意のことだ。帝国主義の時代から第1次、第2次世界大戦を経て、人類は二度と悲惨な戦争を繰り返さないため、国際法に基づいて国連安全保障理事会の常任理事国が国際の平和と安全に責任を持つという国際秩序をつくり上げた。その後、曲がりなりにもその体制は維持されてきた。ベトナム戦争やイラク戦争といった大規模な紛争は起こったが、それらも、何らかの形で国際法上の正統性を確保しようとする努力が見られた。
しかし、ロシアのウクライナ侵攻、そして中東におけるイスラエルとイランの紛争は、そうした国際法上の正統性を担保することなく、国家の戦略的目標や国家が持つ焦りや怖れを原動力とした、自己中心的な理由で始められた紛争だ。19世紀的な帝国主義的な領土拡張というよりは、自国の安全を最優先とし、外部に存在する脅威(ロシアの場合は歴史的なつながりの深いウクライナが西側諸国の陣営に加わること、イスラエルにとってはイランの核武装の可能性)を排除するために積極的に武力に訴えるものであり、明らかに「1945年コンセンサス」が想定した国際法と国際機関による秩序を逸脱している。
また、「1945年コンセンサス」は、国際経済の分野では、ブレトンウッズ体制と呼ばれるGATT-IMF体制に基づく、自由貿易が国際経済秩序の基礎をなすという合意でもあった。第2次世界大戦前の保護主義やブロック経済によって、一部の国が追い込まれ、市場や資源へのアクセスを求めて武力に訴えた過去を反省し、自由貿易による市場や資源へのアクセスを確保することで、武力を用いることなく安定した貿易と投資を可能にする仕組みをつくった。1980年代に激化した日米貿易摩擦のように、自由貿易がもたらす競争は、しばしば競争力の弱い産業を直撃し、それを解決するため政治的圧力が行使されることもあった。しかし、そうした場合でも、例えば、日米貿易摩擦では「輸出自主規制」といった輸出側が政治的に貿易を制御することで、自由貿易の原則を維持し、見かけ上は保護主義的な措置を取らない方法が選択された。また、冷戦の間は対共産圏輸出統制委員会(COCOM)のような輸出管理の仕組みを構築することで、貿易を制限するような措置も取られたが、それはあくまでも安全保障上の目的を達成するためのものであり、自由貿易全体を脅かすことなく(そもそも共産圏では管理貿易が行われ、自由貿易ではなかった)、一部に制限をかけることは容認されてきた。
自由貿易体制はなぜ崩れたのか?
しかし、2010年以降、中国によるレアアースの輸出規制の強化や、米国の対中半導体輸出規制、さらには第2次トランプ政権による大規模な関税政策など、自由貿易の原則に当てはまらない行為がまかり通るようになった。この背景には、COCOMなどの管理貿易が消滅後、中国やロシアが自由貿易の枠組みに参入することで経済のグローバル化が進んだこと、また、1980年代から国際分業の最適化とグローバルバリューチェーンが急速に進み、先進工業国の低付加価値産業が生産コストの安い中国やグローバルサウスの国々にシフトしていったことがある。その結果、米国や欧州諸国では、仕事を失った低付加価値産業の労働者たちが強い不満を持つようになり、経済愛国主義や、中国をはじめとする他国への非難を強めるようになった。
また、それらはグローバル化によって莫大な利益を得たエリート層やエスタブリッシュメントに対する怒りとなり、他方で、低付加価値産業に流入する移民に対する反発が反移民運動などに結び付き、ポピュリズム運動として展開された。これらの怒りや不満が、国際的なルールに基づいて自由貿易を維持するよりも、自由貿易を否定し、保護主義的な措置を取ることで自らの生活を守ることを求める動きとなっていき、「1945年コンセンサス」である自由貿易体制が蝕まれることになった。
同時に、政治的な目的で経済を「武器化」することが容認されるようになった。それが、まさに本書で展開される「チョークポイント」の重要な背景である。これまでのような自由貿易の仕組みがあったからこそ、国際経済の相互依存度が高まり、その依存度が高ければ高いほど、チョークポイントとしての効果が高まる。
本書でも繰り返し述べられている米国の国際経済秩序における強みは、何と言っても基軸通貨としてのドルを発行していることだ。国際取引の大半はドルで決済され、世界中の銀行は米国の銀行とコルレス関係(国際送金や決済のために口座を預け合う銀行間の取引関係)を築いており、たとえ取引の当事者が外国企業同士であっても、ドル建ての決済は米国の金融システムを経由する。米国はこの仕組みを利用して、資金の流れを把握し、必要に応じてそれを制裁の手段として「武器化」できる立場にある。国際貿易には決済通貨が必要であり、その地位を失わない限り、米国は常にあらゆる国のチョークポイントを握っていることになる。
これに挑戦するのが、中国の人民元を軸とした、BRICSによる共通通貨構想だ。この構想は、ドルの支配から脱却し、BRICS諸国内での貿易決済に独自の共通通貨を使うというものだ。現在のところ、まだ構想段階にすぎないが、もし実現すれば米国はドルを「武器化」することが難しくなる。それはすなわち米国が国際社会において発揮できるパワーが削がれることを意味する。ゆえに、第2次トランプ政権は、BRICS通貨を使う国に対して100%の関税をかけると脅している。
こうした関税もまた、米国が持つチョークポイントを示している。世界最大のGDPを誇り、多くの国が米国に対して貿易黒字を持つ中で、それらの国々は米国市場へのアクセスに依存している。もし、米国に輸出できなくなれば、それらの国の経済は大きな打撃を受ける。米国はそれをテコに、中国に対して不法麻薬であるフェンタニルの製造を管理するよう要請し、また、日本をはじめ多くの国に対して米国にとって有利な要求を飲むよう求めている。こうした関税の「武器化」は世界経済を混乱させ、米国内にもインフレをもたらす恐れがあるが、それにもかかわらず、トランプ大統領は関税政策を強行している。まさにチョークポイントを自らの政治的手段としてフル活用している姿がそこにある。
チョークポイントの濫用で、相手国が鍛えられることも
ただし、チョークポイントを濫用すると副作用も大きい。例えば、ロシア制裁に関しては、イランなどと異なりロシアは相対的に経済の規模が大きく、西側諸国、特に欧州各国はエネルギーなどで強く依存していた。そのため、チョークポイントを握り、制裁をかけてロシアの行動変容を促そうとしても、それは自らの経済に大きく跳ね返ってくる。その跳ね返りが大きければ大きいほど、チョークポイントを握る力は弱まる。
また、相手を苦しめるためのチョークポイント戦略が、相手の能力向上を手助けしてしまうこともある。バイデン政権から続く対中半導体輸出規制により、米国は中国の先端半導体へのアクセスを遮断することで、AI(人工知能)開発など中国の科学技術の発展を妨げることを企図していた。しかし、中国は急ピッチで半導体開発を推し進め、自国の半導体を使ってファーウェイがハイエンドのスマートフォン「メイト60プロ」を発売するなど、自律的な能力を身につけた。西側諸国の先端半導体に依存しなくなったことで、チョークポイントの効果は薄まってしまった。こうした経済の「武器化」、チョークポイントの濫用が、他国の自律的な能力を高めることになると、その効果は薄れていく。つまり、チョークポイントを握らせないためには「戦略的自律性」を高めることが求められる。そのためには、相互依存のわなを断ち切り、自らの経済を自律的にする必要がある。
第2次トランプ政権の関税政策のもう一つの目的は、関税を嫌がる企業が米国内に投資をすることで、米国内にサプライチェーンを構築するようになり、結果として他国への依存度を減らすことになることを目指している。もちろん、米国の生産コストの高さは変わらないため、すべての産業が米国内に進出することはないが、それでも、高付加価値産業を中心に、米国の戦略的自律性が高まることが期待されている。
日本はチョークポイントを再認識し、政策に生かすべきだ
チョークポイントを握るには、他国が自国に依存する状況をつくる必要がある。第2次世界大戦後にドルが世界の基軸通貨になったことは、米国に圧倒的な「戦略的不可欠性」をもたらし、チョークポイントを活用して経済を「武器化」できるようになった。中国はレアアース市場の世界シェアを90%以上持つため、これに依存する国はレアアースの調達がチョークポイントとなり、中国は輸出規制によって他国に影響を与えることができる。米国が関税政策を活用して他国にさまざまな要求を飲ませようとしているのも、米国市場が戦略的に不可欠な市場だからだ。興味深いのは、米国の関税政策の対抗措置として、中国がレアアースの輸出規制を実施したことであり、まさに不可欠性同士の戦いを展開している点だ。
このようなチョークポイントを日本は持っているのだろうか。日本はレアアースのような資源もなく、GDPは世界第4位だが、日本市場を不可欠としている国はそれほど多くない。しかし、日本は、素材や工作機械、半導体製造装置といった生産過程の上流に当たる製品において圧倒的な戦略的不可欠性を持っている。
例えば、2019年の韓国に対する輸出管理制度の変更、いわゆる「ホワイト国」から外した措置は、まさに日本が韓国に対して持つ不可欠性を認識し、それをチョークポイントとして握った事例だ。この時は、フッ化水素、フォトレジスト、フッ化ポリイミドといった半導体製造に必要な素材を「包括許可」から「一般許可」に移行することで、日本からの輸出の手間が増えるという措置を取った。韓国側から見ると、自国の主力産業である半導体産業に大きなダメージが及ぶ輸出規制措置であり、強く反発した。この措置は日韓関係を悪化させる結果となり、チョークポイントを握っていても、それを政治的にうまく活用できなかった事例として記憶されるが、それでも日本が不可欠性を持っていることは明らかである。
「1945年コンセンサス」が崩壊し、世界がチョークポイントをめぐってつばぜり合いを繰り返す世界において、戦略的自律性を高めることで自らを守り、戦略的不可欠性を高めてチョークポイントを握ることは、これからの経済戦争の時代を生き抜くうえで極めて重要なポイントだ。本書を通じて、そのチョークポイントの重要性が認識され、それが日本の産業政策、通商政策に反映されることが強く望まれる。
