12年働いた中堅システムインテグレーターをやめようと決心していたSEの後藤智彦。担当企業の緊急トラブル対応に出かけた彼はそこですご腕の先輩SEの五十嵐優一と出会う。どうしたら出世できるのか尋ねる後藤に五十嵐は……。(この物語はフィクションです)
「ぼくは、これからどうしたらいいんですかね」
「どうした、いきなり哲学的な話になったな」
五十嵐さんはスマホを操作していて、話半分に聞いている感じだ。
「社会人なんて、多かれ少なかれ、みんな哲学者ですよ。自分がどう生きたらいいかに悩んでいると思います」
「ま、そうかもな」
「ぼく、今の会社に残ったとしても、どういう心構えで続ければいいか、わからないんです」
五十嵐さんは持っていたスマホをテーブルに置き、「ふうむ」と顎をなでる。
「そうだなぁ。仮に後藤の不満である人事評価を高めること、つまり出世を得たいとする。そうであれば、人事評価をする人、つまり上司なんだけど、上司へのアピールが鍵だ」
「我が社だと、上司ではなく、人事部や社長が人事評価をすると聞きましたが」
「その通りだけど、後藤の業績を人事部に伝えるのは上司だ。また、部下が10人いる場合に、誰を最も高い評価にするかは、上司のさじ加減一つだ。だから、上司に気に入られて、上司が求める人物になることが大事だ」
「だから、成果を出そうとがんばっています」
「たしかに成果も大事だ。だが実際には、成果よりも、自分に従順な部下であるかが大事なんだよ」
「えっ。上司は、成果を出せる優秀な部下が欲しいんじゃないのですか?」
「どれだけ優秀でも、上司と対立してたら駄目さ。仮に後藤に、東大卒のバリバリできる部下がいたら、どうだ?」
「めちゃくちゃ優秀なんですよね。いいじゃないですか」
「でも、もしかすると、後藤を飛び越えて社長と話をしたり、後藤の言うことを聞いてくれなかったりする可能性もあるぞ」
「それは、やりづらいかもしれません……」

ぼくは額に手を当てて考えてみた。自分の部下にイエスマンが欲しいわけじゃない。でも、自分をのけ者にして話をされるのは、うれしくない。
「そういうことさ。どんな上司も、自分に従順な部下が欲しい。上司が優秀なら、自分のやり方は正しいと思っているし、自分のやり方で成果が出せる。だから、自分の手足として従順に動いてくれる部下が欲しいのさ」
「なるほど」
「営業担当なら自分と同じように仕事を取ってきて、SEなら自分と同じようにベンダー調整をしてプロジェクトを成功させる、そんな部下が欲しいのさ」
「上司が無能な場合は?」
ぼくの頭の中には、服部課長が浮かんでいた。
「もちろん成果を出してくれる部下はうれしい。だけど、自分を飛び越えて活躍したり、自分の言うことを聞かなかったりする部下は気に入らない。バカだから器も小さいんだよ」
服部課長は、ゴルフの腕で出世した人だ。技術的な部分については理解できないと自ら公言している。そんな人に、技術力を認めてもらおうとしたのが、間違いだったのかもしれない。
「でも、今の上司、服部課長には、従順になれそうにありません」
ぼくは、自分が不器用な人間なんだということを、改めて思い知らされた。
「後藤が服部課長に寄り添って、従順に仕事をしたり、毎日昼ご飯を一緒に食べて愚痴を聞いたりというのは無理だろうな。まあ、そういう裏表がない性格というのは、後藤の魅力なんだけどね」
「出世するには、上司のそばにいて、ご機嫌取りをするしかないのですか?」
「そうとも限らないけど、それが1つの方法だな」
「それ以外に、上司にべったりせずに済む方法はありませんか? 仕事をやり遂げればいい、みたいなのは」
「あるぞ」
「本当ですか?」
「簡単だよ。自分がやりたくない汚れ仕事をやってくれる部下だ」
「汚れ仕事ですか?」
「例えば、今回のようなクレーム対応やトラブル処理。トラブルは社外だけじゃなく、社内にもある。最近だとパワハラやセクハラが非常に厳しくなっているからな」
「たしかに、汚れ仕事は面倒だし、やりたくないです。それを見事にやってくれる部下がいたら最高です」
「そう。上司は部下に任せて、絶対に近寄ってこない」
「あはは」
ぼくは苦笑いしかできなかった。
「それから、違法行為だな。仕事をしていると、グレーな領域はいっぱいある。例えば、公共案件の入札とか、談合で捕まるかもしれないようなギリギリの仕事だ。昔は談合と言えばゼネコンだった。だけど最近はシステムインテグレーターの談合や不正取引もニュースになっている」
「そうですよね……」
「談合がいいわけではない。だけどかつてのゼネコン業界なんかは不条理な業界構造がその原因だったという話もある。談合なしでは超大型受注が取れないとかね。海外なんかだと、現地の役人や企業と接待を交えたグレーな金銭の授受がないと発注を得られない国もまだまだある」
「もしその違法行為が表に出たら、どうなるんですか?」
「上司は、『一切知らなかった、部下が自分で勝手にやった』って言う。政治家が『秘書が勝手にやった』と言うのと同じだ」
「ひきょうですね」
ぼくは「ポッキー」を口に入れた。いつものポッキーとは味が変わっておいしくない気がする。
「程度の差はあれ、出世しようと思えば、何度か修羅場をくぐる。後藤が出世したいなら、出世コースに乗っている上司の懐刀になるのも手だ。汚れ仕事も含めて全部引き受ける。そうすれば、上司のゴマすりをすることなく、上司は何も言わずにいい評価をしてくれる」
「それはぼくには……」
「出世頭の佐々木くんの上司は、ヤリ手で有名だろ。現社長のお気に入りだったよな」
「おそらく、そうですね」
「佐々木くんは上司が気に入るようにうまくやったんだろう。出世するために、技術を磨くよりも上に気に入られることに注力した。しかし、今後、もっと出世するには、さっき言ったような、汚れ仕事もやらなければいけない時がくる。そんな仕事を命令されたとき、後藤はできるか?」
ぼくと春村さんは、同時に首を振った。「絶対無理です」と。
「しかし、組織を束ねてビジネスの世界で戦う以上、きれいごとだけでは仕事はできない。コストが安くて技術も優れる海外企業とも戦わなければいけない。だから、『サラリーマンとしての度量』なんて言葉で正当化して、誰かが汚れ役をやらなければいけない。そういう人たちがいるから会社が保たれているともいえる」
ぼくは、ため息をついた。会社員なんてつらいことばっかりだ。それが現実なのかもしれないが、生々しく聞かされると、ほとほと悲しくなる。
(つづく)
[日経クロステック 2023年8月2日付の記事を転載]
