12年働いた中堅システムインテグレーターをやめようと決心していたSEの後藤智彦。担当企業の緊急トラブル対応に出かけた彼はそこですご腕の先輩SEの五十嵐優一と出会う。大きな仕事を成功させたのに人事評価が思ったより低いと口にした後藤に五十嵐は……。(この物語はフィクションです)

イラスト:冬乃郁也
イラスト:冬乃郁也
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「そんな犯罪スレスレとか、汚れたことじゃなく、まっとうな方法で勝負したいんです」

 それがぼくの素直な気持ちだった。

「もちろん、世の中には、真の実力だけでのし上がった人もいる。とはいえ、本当に実力がある人は、たとえ汚れ役の仕事であっても、何事もなかったかのように平然とやり遂げる」

「汚れ役とは思わないってことですね」

 五十嵐さんが言ったことを、春村さんが確認した。

「そうだ。だから、出世したいなら、汚れ仕事やつまらない仕事も、文句も言わずにすべてのみ込んでやるべきだ。でも、後藤はそういうのは嫌なんだろ」

「はい。真の実力ってやつで勝負したいです」

 ぼくはまだ、世の中は正しく潔癖であるべきだと思ってる。それが幼稚な考えだとはわかっているけれど、自分の心を偽れない。

「何をもって真の実力というかはわからんが、一般的にはゴルフや接待も含めた総合力が、真の実力なんだけどな。出世するやつは、仕事で卓越した成果を出しつつ、従順な部下としても仕事をし、夜の部やゴルフなども含めてこなしているもんだ」

「じゃあ、言葉を変えます。エンジニアとしての技術力だけで勝負したいです。グーグルの行動規範も『正しいことをしよう(ドゥー・ザ・ライト・シング)』じゃないですか。そうやって世界有数の企業になったじゃないですか」

「それだったら、人の20倍くらいの成果を出す必要があるな。人より少しできるくらいじゃ、その実力が表に見えてこず、埋もれてしまう」

「そう言われるとそこまでの実力はありません。でも、実際、ぼくがエンジニアとして顧客に認められたからこそ、受注ができたはずなんです」

「まぁ、それは事実だろうな。でも」

 もったいぶるように五十嵐さんは、少し間を置いた。

「本当に受注できなかったかどうかは、検証のしようがない」

「それはたしかにそうですけど……」

「それにな、後藤が人の5倍の仕事ができたとしても、5人のプロジェクトを1人でこなすことはできない。契約処理やら物品の受け入れ処理、荷物の発送、コピー、メール、電話対応、片付けなどなど、雑務が山のようにある。そんな雑務もすべて5倍のスピードでこなすなんて無理だ。結局は、チームのみんなの力があってこそ、後藤の力も発揮されるってわけだ」

 人間は1人じゃ生きられないのと同じで、もっとも過ぎる話だ。ぼくだって、経理や事務や営業の人をばかにしたいわけじゃない。

「でも……じゃあ、どうすればいいんですか」

 五十嵐さんは「ポッキー」を口に入れながら、「ちなみに」と聞いてきた。「そのプロジェクトで、後藤はどれくらい残業したんだ?」

「ぼくはコスト削減を意識して、残業はかなり減らしました。娘のためにも早く帰りたかったですし、会社にとってもウィンーウィンだったと思います」

「なるほどね」

「ぼくは、3つあるチームの1つのチームリーダーをしながらも、顧客対応を含めて全体のプロマネ的な仕事もやっていました。残る2つのチームは、すごく荒れたプロジェクトでした。残業がすごく多かった上に品質が悪過ぎて、その後、増員もしました。人件費が非常に増えたと思います」

「なるほど。とすると、後藤の場合、トラブルもなく、残業もほとんどせずに成功させたってことだな?」

「はい。がんばってやり切りましたよ」

 そう言って、胸を張ったが、五十嵐さんは、悲しそうに首を振った。

「外資系企業ならそれで正解だが、お前の会社の場合、逆効果の可能性がある」

「えぇっ、なんでです?」

「これはケース・バイ・ケースだから、必ずしもそうというわけではないんだが……」

 五十嵐さんは春村さんに「ポッキーうまいね」と言いながら、ポッキーの1袋目を丸め始めた。

「つまりだ。後藤のチームが担当した仕事は、難易度が低かったと思われた可能性があるんだよ。それと、基本的に、人間ってのは、他人の成功は嫌いだ。だから、残業もせずに早く帰るお前たちを見て、『早く終わったなら、こっちを手伝え』と妬んでいたかもしれない」

「でも、ぼくだって娘が小さかったから、早く帰ることをモチベーションにがんばったんです。それに、その2チームが崩壊したのは、チームリーダーのマネジメントの問題でした。ぼくならそうはさせなかったです」

「実際はそうなんだろうけどさ。日本企業はいい意味でも悪い意味でも浪花節、つまり、義理人情の世界が残っている。だから、遅くまでがんばることも大事なんだ」

「でも、残業代がかさむし、会社にとっても損ばかりですが」

「いいか、会社で出世するためには、アピールすることも大事なんだ。飲み会やゴルフの付き合いも、実はアピールの場なんだよ。iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中伸弥教授も、『研究も大事だが、それと同じくらい、結果をアピールすることが大事だ』って言ってるよ」

「研究と同じくらい、ですか?」

「そうだ。本でしか知らないけど、山中教授の研究って、半端じゃない量の研究だ。それと同じくらいアピールするんだから、ものすごいアピールだよ。しかし、そこまでしないと、誰も見てくれないんだよ」

「じゃあ、アピールのために、ぼくも毎日残業すればよかったのですか?」

「そうだな。ときには2週間ほど徹夜して、血を吐いて病院に送り込まれておけば、完璧。みんなの態度が極端に変わるぞ。よくやったよねーと」

 五十嵐さんはクツクツ笑う。そんなのブラック過ぎるじゃないか。

「なんか、そういうの嫌いです。ぼくがしたいのは、ちゃんとがんばった人が、ちゃんと評価される社会なのに」

「そんな社会はない。後藤が今の社会の風土に合わせなきゃならん」

 言われることはその通りかもしれないけど、納得できない。

 そんなぼくに、五十嵐さんは静かに告げた。

「納得できないままでも、アピールはやったほうがいい。収入に差がつくからな」

 五十嵐さんは一息置いて、ぼくをじっと見た。

「服部課長は、プロジェクトの成功は後藤のおかげだと報告していると思うか?」

「他に誰のおかげだっていうのですか」とぼくはつい、怒り口調になった。

(つづく)

▼本連載は左門至峰氏の小説『ぼく、SEやめて転職したほうがいいですか?』(日経BP、2023年6月19日発行)を著者の許諾の下で転載しています。本文表記は原則、書籍発行時の記述をそのまま掲載しています。

日経クロステック 2023年8月3日付の記事を転載]