日本では、大学の研究者を経済学者、民間企業や官庁などの研究者をエコノミストと呼ぶ場合が多い。両者の経済学を巡るスタンスに違いはあるのか。「経済学の書棚」第18回は官庁エコノミストから大学教授に転身した小峰隆夫氏の著作を題材にその違いを考える。前編は、官庁エコノミストとしての経験を交えて、日本経済の全体像を描き出した『私が見てきた日本経済』と、日本経済の歩み、現状、課題を解説した『最新 日本経済入門[第6版]』(村田啓子氏との共著)を紹介する。

「経済学の書棚」第18回は官庁エコノミストから大学教授に転身した小峰隆夫氏の著作を題材に、経済学者とエコノミストとの間には、経済学を巡るスタンスに違いがあるのかを考える
「経済学の書棚」第18回は官庁エコノミストから大学教授に転身した小峰隆夫氏の著作を題材に、経済学者とエコノミストとの間には、経済学を巡るスタンスに違いがあるのかを考える
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日本経済史、官の実態などを一冊の本に

 経済を専門とする研究者を日本では経済学者と呼んだり、エコノミストと呼んだりする。英訳すればどちらもEconomist。両者に違いはないと思いきや、大学に所属する研究者を経済学者、それ以外の民間企業や官庁などに所属する研究者をエコノミストと呼んで区別する場合が多い。やや奇妙とも思える習慣の背景を探っていくと「経済学」の本質に関わる問題が浮かび上がってくる。

 今回は「官庁エコノミスト」から大学教授に転身した小峰隆夫氏の著書を紹介しながら、この問題を考えてみたい。

 小峰氏は1947年生まれ。旧経済企画庁(現内閣府)に入庁し、様々な部門を経験しながら「官庁エコノミスト」として頭角を現し、経済白書(現経済財政白書)の作成や執筆に携わった。官僚としての最後のキャリアは国土交通省国土計画局長。2003年に法政大学教授、2017年に大正大学教授に就任した。官庁エコノミストから大学教授に転じた小峰氏は、50年を超えるキャリアの中で培ってきた「経済学の活用術」を著書の中で披露している。

 最初に紹介するのは『 私が見てきた日本経済 』(日本経済新聞出版/2023年10月刊)。同書は小峰氏が研究顧問を務める日本経済研究センターのウェブサイトに連載中のエッセー(2013年12月~2023年7月掲載の118回まで)を取捨選択して加筆修正した本だ。

『私が見てきた日本経済』(小峰隆夫著)。官庁エコノミストとして日本経済をくまなく見渡してきた経験を生かし、日本経済の全体像をくっきりと描き出している
『私が見てきた日本経済』(小峰隆夫著)。官庁エコノミストとして日本経済をくまなく見渡してきた経験を生かし、日本経済の全体像をくっきりと描き出している
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 同書は主に4つの要素からなる。(1)ニクソン・ショック、石油危機、日米経済摩擦、バブルの生成と崩壊といった出来事をたどる過去半世紀の日本経済史、(2)小峰氏の自叙伝、(3)政府の月例経済報告を巡るやり取り、国会答弁の仕組み、秘書官の役割、各省調整など官の世界の実態、(4)「国際収支や為替レートの分析(Jカーブ効果など)」、「バブル生成期のキャピタルゲインやバブル崩壊後のバランスシート調整」などの具体的な経済分析、である。

 小峰氏は「私が見てきた」という文言をタイトルに入れ、同書の内容をもって一般化はできないと断っているが、官庁エコノミストとして日本経済をくまなく見渡してきた経験を生かし、日本経済の全体像をくっきりと描き出している。

 エコノミストの先輩である香西泰、宍戸寿雄、新保生二、宮崎勇の各氏、経済企画庁長官を務めた河本敏夫氏(小峰氏は秘書官として仕えた)、同じく長官を務めた堺屋太一氏とのやり取りや、経済白書が完成するまでの経緯、景気判断を巡るドタバタ劇など、霞が関官僚の日常を生き生きと再現しており、肩が凝らない読み物に仕上がっている。

 小峰氏は1969年、経済企画庁に入った。配属先は経済白書を取りまとめる課である内国調査課。その年の経済白書はすでに完成していたため、翌70年と71年の白書作成に携わった。

 78年に今度は課長補佐として内国調査課に戻り、78年、79年の白書作成に従事。93年には内国調査課長(正確には調査局内国調査第一課長)となり、93年と94年の経済白書の責任者として執筆に当たった。「ぐるぐるとキャリアの螺旋(らせん)階段を上るなかで、徐々に地位を上げながら経済白書を経験してきた」。経済白書をつくるという仕事に従事した累積年数は約10年で、現存する日本人で最も長く経済白書づくりに従事した人間ではないかと説明している。

 こうしたキャリアは自ら望んだ道だった。「経済企画庁で仕事をするなかで、いつの日か内国調査課長になって経済白書を書きたいと思うようになった。人生最大の目標だったと言ってもいいだろう。できうれば歴史に残る名白書を書きたい」

 小峰氏は内国調査課長にふさわしいと認められる人物になるよう努力し、夢を実現した。内国調査課長を務めた期間を「人生のハイライト」と位置付けている。

輝きを放っていた経済白書

 経済白書の執筆にここまで情熱を傾けられたのは、白書がそれだけ大きな役割を果たしていると多くの人が認める存在だったからにほかならない。

 経済白書は、(1)多くの人々に日本経済の置かれた状況を考える材料を提供し、議論を巻き起こす、(2)官庁エコノミストを養成する、という2つの役割を果たしていたという。経済白書は多くの人の関心を呼び、全文を掲載する経済誌もあった。内国調査課のスタッフは白書の発表後に全国各地を訪れ、その内容を講演して回った。

 転機が訪れたのは2001年1月。省庁再編に伴って経済企画庁は内閣府に吸収された。経済白書は経済財政白書に衣替えし、時の政権の経済政策との関係が強まった。白書の自由度は大きく制約されるようになり、かつての役割を果たさなくなったとみている。

 そんな小峰氏が議論のよりどころにしてきたのは「経済学」だ。歴代の政権は様々な政策を打ち出してきたが、「経済学の正統的な議論」から外れた奇抜な政策には期待できないと主張する。

根岸隆氏のミクロ経済学講義に感銘

 小峰氏は東京大学経済学部で根岸隆教授のミクロ経済学(価格理論)の講義を聴講し、「その論理体系のあまりの美しさに心から感動した」。ミクロ経済学は、市場メカニズムの機能を解明する経済学の基礎理論であり、新古典派経済学と呼ばれる主流派経済学の中核を成す。

 経済企画庁に入庁後、政策の是非や効果などを論じる際に、経済学の標準理論は羅針盤となってきたようだ。同氏がイメージする経済学は、学界で活動する研究者たちが取り扱う高度な経済学ではないが、官庁エコノミストして活動するうえではそれで十分だったのではないだろうか。

 小峰隆夫・村田啓子著『 最新 日本経済入門[第6版] 』(日本評論社/2020年3月刊)は日本経済の歩みと現状、日本が抱える課題を解説した書。できる限り直近のデータを使って論じている。「日本経済は常に変化し続け、次々に新しい課題が現れ続けている。そのプロセスを観察し続けることは、苦労は大きいものの、興味もまた尽きない」と述べ、今後もデータを更新し、改訂を重ねる意欲を示している。

『最新 日本経済入門[第6版]』(小峰隆夫・村田啓子著)。日本経済の歩みと現状、日本が抱える課題を解説した書。できる限り直近のデータを使って論じていくとのことで、現在は第6版
『最新 日本経済入門[第6版]』(小峰隆夫・村田啓子著)。日本経済の歩みと現状、日本が抱える課題を解説した書。できる限り直近のデータを使って論じていくとのことで、現在は第6版
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 日本経済と経済の基本(序章)、日本経済の全体像(第1章)、戦後日本の経済成長(第2章)、産業構造の変化と日本型企業経営の行方(第5章)、円レートの変動と日本経済(第8章)、人口構造の変化と日本経済(第14章)といった章を設け、日本経済に関する基礎知識をテーマ別に学べる構成にしている。

 経済学に対する構えも一貫している。「経済学が教えてくれる理論や経済的なものの考え方を踏まえて、日本経済の姿を見直してみると、それを踏まえないよりはずっと明瞭に経済の動きを理解できる」

 念頭に置いているのは、やはり価格理論だ。価格理論によると、経済主体が自らの利益の最大化を目指して行動すると、社会的に見ても資源の最適配分が実現する。経済学の基礎中の基礎であり、「現実の経済はこの理論で説明される通りだ」と考えた方が物事の理解が進むと説明している。

自由競争と小さな政府を支持

 価格理論の根底には「自由」があり、「小さな政府が望ましい」、「規制はなるべく少ない方が良い」という考え方につながる。「市場原理主義」と批判されがちな考え方だが、それを市場原理主義だと言うのであれば「私は喜んで自らを市場原理主義者だと言うつもりだ」と明言する。

 官僚組織に属していた小峰氏が「小さな政府」を志向するようになった経緯は明らかではないが、ミクロ経済学の考え方をストレートに表現すれば、この通りだろう。学界で活動する経済学者たちの多くはこうした考え方を前面には出さず、むしろ「市場の失敗」や「不完全競争」などに目を向けていると説明しがちだ。小峰氏の主張は「経済学の本質とは何か」という原点を思い出させてくれる。

(後編に続く)

写真/スタジオキャスパー

問題解明に挑み続けてきたエコノミストの証言

40年以上にわたって日本経済の課題に対峙してきたエコノミストは、タブーを恐れずにいかに問題の本質を突き詰めていったのか。経済白書完成までの攻防、経済計画作成の舞台裏、経済分析を巡る論争などの知られざるドラマを明らかにするユニークな日本経済論。

小峰隆夫著/日本経済新聞出版/3960円(税込み)