『 すぐ役に立つものは すぐ役に立たなくなる 』(プレジデント社)の筆者で、博物学者・作家の荒俣宏さんインタビュー1回目は、「何のために、何を学ぶか」。荒俣さんら団塊の世代は競争が激しかったといわれるが、大学に進学するのは2割程度で、勉強が苦手な子でも逃げ道があった。今は人生の道筋が固定化され、小さな頃から「評価」がついて回るからきついだろう。でも時代は違えど、他人の評価を気にせず好きなことをしたほうが、結局は幸福な人生を送れる、と話す。
誰の役に立つのか
日経BOOKプラス編集部(以下――) 先日の日経BOOKプラスの記事「 鹿島茂×滝田洋一 全集を買ってひたすら読む“自己強制”古典学習法 」で、仏文学者の鹿島茂さんが、「荒俣さんの『すぐ役に立つものは すぐ役に立たなくなる』という本のタイトルの通り、すぐに役立つ本は、最終的にあまり役に立ちません。すぐには役立ちそうにないけれど、もしかすると役立つかもしれない本を思い切って買うことが肝心」といったことを話しておられました。この書名は非常に印象的ですが、どのような経緯で決められたのですか?
荒俣宏さん(以下、荒俣) 本の中に出てきたフレーズを、担当編集者が書名として提案してくれたものです。変な書名だな、でもこれもありかな、と思っていたところ、意外に分かりやすいと評判で、ほっとしています。
確かに、すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなるかもしれません。その一方で、すぐには役立たないものは、やっぱり後になっても、役に立たないことのほうが多いのではないでしょうか?
荒俣 もちろん、すぐには役立たないものの9割も、おそらく花を咲かせずに散ってしまうことでしょう。そのとき考えるべきは、「役に立つ」とはいったい誰のためになのかということです。たぶん役に立たないという「役立ち方」もある。
この世の中を生きているのは自分です。人は一生をかけて、自分の物語をつくっています。それで満足できたら、それはもう大成功で、あの世に喜んで行ける最良の役立ち方ですよ。
荒俣さんによる福澤諭吉を描いた小説『 福翁夢中伝(上)(下) 』(早川書房)を読みました。福澤は最初、オランダ語を学びましたが、オランダ語が次第にはやらなくなってくると、英語に切り替えました。福澤も世の中に役立つ学問をしようとして失敗したということなのでしょうか?
荒俣 福澤はオランダ語を続けていても、十分飯を食えたとは思います。でも福澤はオランダ語ではダメだ、これからは英語だと自分で決めた。この決断と切り替えこそが重要なんです。役に立つものを役立たなくさせるのも自分。役の立ち方とはそういうものです。
勉強というのは教師や大人から押しつけられることが多いと思います。そもそも教育とは強制ですから。読書でさえも「ためになるから」と強要されます。
要領のいい人は強制されても何とかやっていけますが、大半の人は器用ではないから、勉強がイヤになる。「なぜ、勉強しないのか」と聞かれれば「イヤだから」とは言わず、「難しいから」と、あきらめる。それで学ばなくなって、学力の格差が生まれてしまう。最悪なのは明治維新以降に、学歴や博士号などの資格の評価が人間の評価となり、評価が高ければ高いほど良いという風潮になってしまったことです。
今の子どもは小さなときから学校の成績やランキングで評価されるから、かわいそうですよ。「数値に表れる役立ち方」を身につける必要があり、逃げ場がありません。
それに比べると、僕ら団塊の世代には救いがありました。僕らの頃も「勉強をしなさい」とは言われましたが、勉強がダメでも何とかなりました。大学進学率は2割ぐらいだったし、中卒でも「金の卵」と一瞬だけですがおだてられましたから。
当時勉強のできた人が大人になって成功したかというと、実はそうでもありません。小学生の頃がピークで、大学や社会に出たらイマイチだったという人も多いんです。
団塊世代というと、とにかく数が多く、激烈な競争を生きてきたというイメージがありますが、そうでもないということですか?
団塊世代は、競争が激しくて大変だったというよりは、数の多さがむしろ力になって、助け合えたことのほうが大きいと思います。
親が会社員という家庭は少なく、自営業が多かった。その自営業も名ばかりで、遊んでいるだけのお父さんもかなりいた。そんな家はたいていお母さんが必死で働き、家計を支えていました。それでもお母さんはお父さんのことを悪く言いませんでした。お父さんは居ることが「役立ち」だった。つまり、舞台でいう役だった。競争ではなく、「役割」があったんです。
子どもは、そんな大人の姿を見て、「これが未来の自分たちの姿なんだな」「大人も大変そうだから、せめて母親を悲しませないようにするか」と、将来に対して過度な期待を持ちませんでした。役に立つのではなく、役を引き受けたんだと思います。
7歳にして心が朽ちた
荒俣さんはどんな少年だったのですか?
僕はぼんやりした子でした。唯一やる気があったのが、「自分の好きなこと」。家でヤドカリやコオロギを飼ったり、昆虫採集をしたりしていました。あだ名は「あまのじゃく」。友達なんかいなかったし、モテなかった。というか、モテることをあきらめていた。7歳にして心が朽ちていました。
好きなことに熱中していると、成績が下がって、親や先生に怒られます。好きなことをしていてほめられることは、めったにありませんでしたね。それこそ役立たずです。
本も好きでした。中学生ぐらいのときに読んだ読書論の本に「読書は趣味です。何の役にも立たない。だから気楽に読書をしましょう」と書かれていて、「これだ!」と思いました。何の役にも立たないけれど、楽しいのが読書。それで幻想怪奇小説などにのめり込んでいったのです。母に言われましたよ、「また宇宙に行っちゃってるの」って。
この本を書くときに考えたのは、好きなことしかやらなかった自分を証人として、今の人にも、「生きていれば役立たずでも役はあるから、なんとかなる」と、安心感を持ってほしいということでした。
一番いいのは、勉強が趣味になることでしょう。そして、なるべく広く学ぶ。「ここぞ」という分野を見つけたら、初めてそれがあなたの役割となり、そのうちに役に立つときも来るでしょうから。
「ほめられる」ことをあきらめてみる
今の時代の人生設計は「○歳で就職」「○歳で家を建てる」という逆算です。しかし、本来は「今、これをやるのが楽しいから、将来もこうなっていたい」と思うのが健全なはず。お金持ちにならなくても好きなことができればいい。それを「○歳で家を建てる」と行き先が提示され、それを達成する最適の方法が決められる。これではノルマを課された仕事と同じで、相当きつい。
今は日本全体が逆算思考、ランキング重視になりすぎています。その人本人を見るのではなく、資格や肩書だけで評価してしまう。
今生きづらいと感じている人は、一度「人にほめられる」ことをあきらめてみるといい。本書でも触れた心理学者、アルフレッド・アドラーは「他人からの評価と自分の価値は違う」と言っています。そして、むしろ自分への評価が厳しすぎるから、心を病む。純粋に自分のやりたいことを評価と呼ぶべきです。
漫画『 釣りバカ日誌 』(作:やまさき十三/画:北見けんいち/小学館)のハマちゃんなんて、楽しそうでしょう。でも、ただお気楽なだけではない。自分の好きなことを評価したからこそ、新たな自分の価値や人脈が見つかる可能性もあるわけです。
(第2回に続く)
取材・文/三浦香代子 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集) 写真/木村輝

